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体にとって辛い事を

2020-08-08 10:21:55 | Weblog
 体にとって辛い事をしたら修行なの?

 今日(8月1日)の朝日新聞の、土曜日版で、『北欧オーサ』さんの4コマ漫画の記事を読んだけれども。
 『冷たい滝に打たれるのが修行なの?』と思う。
 「肉体的に辛い事をして、『修行だ』とか言っているのは、日本だけではないか」と思う。

 精神世界の本で、『冷たい滝に打たれる修行とかをしたら、その後で、怖い霊的世界が見えるようになってしんどい』と言っている人がいました。それは本当なのでしょうか、という話が書いてあったけれども。

 「それは当然の話だね」と思った。
 “辛い”事をしても、“辛い”世界しか見えない、と。
 本当は、冷たい滝に打たれる事ではなくて、『東京ディズニーランドに行く事』が修行かも知れないのに。

 苫米地英人さんが『座禅の座り方は今の私達からすればしんどいように思えますが、昔の人にとっては、心地いいやり方だったはずです』と。

 何か人に対して、厳しい事をして、『それは宗教だ』とか言う宗教がいっぱいあるけれども。
 本当は人に対して、『心地いい事』をやるのが、正しい思想だと思う。

 『愛』を信じないで、『不幸を信じる』と。

 それは本当の神の行為ではない、と思うけど。

 本当は、『資本主義』は素晴らしい思想ではないのですか。
 人に苦痛を強いる、『共産主義』ではなくて。
 何で、『我慢して』『苦労しないと』いけないのだろうか、と思う。

 どうせ、「心理的に傷ついている」のに。

 みんな、自分の事を『被害者』だと思って、『だから、加害者になっても大丈夫』と思っている。
 だから、『加害者』にならないためには、『自分の被害者意識を無くす事が大事』。
 それが、『修行』と思う。
 だから、『自分にとって、心地良い事をする事』が修行なのだ、と思う。
 『もっと、自分に対して、優しくしてあげて下さい』と。

 『覚えておいて欲しいのは、自分にも他人にも厳しくならないで下さいと言う事です』とバシャールは言うが。
 でも、みんな『自分に対して厳しくて』だから、『他人に対しても、厳しくなってしまう』と。
 本当は、『おためごまかしの自分でも愛して下さい』『私は常にそうしています』なのに。
 自分の不完全さを認められた時、他人の不完全さも認められる、と。
 で、「それが愛なのだ」と。
 自分の正しさではなく、自分の不完全さを愛せる事が『愛』と。
 で、他人の正しさではなく、他人の不完全さを愛せる事が『愛』と。
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