谷汲山華厳寺参拝へ、谷汲巡礼街道その④、池田町池野~新道で美濃本郷駅。 | 歩いて走って登って、毎日ビール(・・・日本酒も)。

歩いて走って登って、毎日ビール(・・・日本酒も)。

体を動かすのは好きなのです。
体を動かした日でも。
動かさない日でも。
・・・ついつい今日もまたビール!
・・・いや最近は日本酒にはまり中・・・。

 

大塚酒造さん前の追分です、谷汲巡礼街道は右ですが、左の「いび幷谷汲新道」を歩いてみます。

 

 

すぐのこちら、妻側は門も構えて大きなお屋敷的ですが街道面はお店というのは珍しい。

 

「画廊 勝野醫院」という看板がかかってます。

不思議な感じ。

 

明治になってから栄えた町並のはずですが、袖壁古民家が多く並んで街道だなぁ。

 

そして昭和商店街テイストが掛け合わされてます。

 

 

 

 

 

 

街道に沿って広い、北野天神。

 

今季初門松を見ました、ああもう今年も終わりか・・・。

 

天神さんで休憩しつつのどが渇いたので自販機探してもありません。

ルート外れて自販機探してたら並行する谷汲巡礼街道に出てしまい、

しかもそこに運悪く道標があったので次回のお楽しみを見てしまった!

・・・見なかったことにしよう。

 

戻って・・・。

廃業した袖壁の銭湯は転用されて使用されてました。

 

思ったより長い宿場町的商店街です。

 

丸ポストのある、元薬屋さんらしい袖壁のお宅、2階にぶら下がる看板、アレは・・・!

 

なんと貴重な浅井万金膏の看板発見!

古地図で散歩、あざい訪問編その②で訪れたあの浅井万金膏のホーロー看板ですよ~!

 

ヒコーキ屋?

 

 

なんだか新しめの道標が現れます。

 

えびす神社参道、Googlemap先生に尋ねると近かったですが小さな祠の社だったので、

ストリートビュー参拝でごめんなさい。

 

まだまだ続く街道筋の町並。

 

 

 

 

 

お、角柱の道標があった~!

情報なしの発見は嬉しいのです。

 

他の面はちょっと読めませんが正面は

「右 田畑 藤代 片山 梅谷」

古地図散歩で探せば田畑 藤代 片山は池田町内にある明治期までの村名です。

梅谷は山越え峠越えで垂井の方に抜けた所の村の名前。

そうか、昔からの垂井から赤坂をまわらず直接ここ池田にそして谷汲に抜ける道があるのか~。

なんとなく恐らく明治頃っぽい道標ですが、今も歩けるのか気になる!

 

 

とうとうこの道が国道にトレースされる場所まで歩きました。

そこに見える道は国道417号、池野の町を出ると「新道」は国道417号と重なります。

って、その電柱のたもとに自然石道標があるじゃん!

 

「右 谷汲道 天保二年」 !

明治の新道も新たに開いた道ではなく江戸時代から谷汲に向かうのに使われてたのですね!

ああそうか横蔵寺にむかう平安時代からの道もあったんだっけ。

江戸時代も谷汲巡見街道が一番メジャールートだったとしても他のルートも使われてたという事か。

先ほどのローカル的な道標のルートで垂井から梅谷経由で山越えで来た人とかは谷汲巡見街道まわらずここ通るよね。

 

江戸道標見つけて気分よく国道合流。

 

馬頭さま、国道にも街道の名残が。

 

国道歩きはじめてすぐの龍徳寺にはこんな看板が。

これは行ってみないと。

 

行ってみたけど信長や春日局との縁はなんも紹介されてなくて良くわからん~!!

しかし大名の池田家、稲葉家とは縁のあるお寺ではあるそうです。

 

なので小牧長久手の戦いで討死した池田恒興親子と家臣主従のお墓が近くにあります。

 

心静かに手を合わせてきました。

 

 

 

 

 

ここらで今日は時間切れっぽい。

国道もだんだんとなんもなさそうになってきました。

新道歩きはここまでにしておきます。

もうすぐ養老鉄道美濃本郷駅です、電車は・・・あと四分で来る急げ!

 

あと2分、間に合いました。

 

「新道」はすっかり国道になってしまったのでここまでにしておきます。

次回は大塚酒造前の追分を谷汲巡見街道、右へ行くところから再開することにします。

 

電子地形図25000(国土地理院)

 

なんとか大急ぎで年内に記事をまとめられました。

後は呑んだくれての年越しだけです、もう吞んでるけど。

冷蔵庫のお正月用日本酒軍団第一陣たち。

 

今年も一年無事に山に町に海にウロウロできました。

みなさま良い年をお迎えください。

いやもう今年は残り数分か・・・。

2022年もよろしくお願いいたします。