2023初歩きは三河の国へ、平坂街道を歩く、その①、小坂井~御津。 | 歩いて走って登って、毎日ビール(・・・日本酒も)。

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体を動かした日でも。
動かさない日でも。
・・・ついつい今日もまたビール!
・・・いや最近は日本酒にはまり中・・・。

2023年新年初歩きはどこに行こうか。

伊勢西街道を下調べしてましたが、西濃あたりはかなり歩いてるし、

ちょっと違う所を歩いてみたくなったのです、さあどこ行こう。

同じ愛知県でもあまりなじみのない三河國を歩いてみたい。

今年の大河ドラマも三河の徳川家康だしね。

目についたのは「平坂街道(へいさかかいどう)」、山間部に入らず三河を横断するようなルートです。

東海道の小坂井駅あたりからスタートして蒲郡、幸田、西尾、そして湊町だった平坂という町までの道。

平坂から少し足を延ばすと一昨年歩いた大浜街道につながります。

よーし、これにしよーといそいそと下調べの年末でした。

 

歩きのスタートはJR飯田線小坂井駅です。

やや遠いので珍しく990円の特急料金を奮発して新幹線を奢りました、名古屋始発の一番列車。

15、16号車あたりが自由席だと思ってホームで待ってたら、ひかりは1~5号車が自由席じゃないですか。

 

ホームを延々てくてく前に歩きます、新幹線の長さを思い知ったのです、遠い遠い!

始発なので長い時間止まっていたので助かりましたよ。

 

朝食セット駅弁、今日は贅沢なスタートです。

でも豊橋までわずか19分しかありませんから発車前からいただきます。

 

新年早々贅沢したら罰が当たりました、豊橋駅で改札まで行くと・・・あれ・・・冷や汗・・・切符がない!

どうも座席に切符を置いてそのまま降りちゃったみたいです。

改札で駅員さんに申告、名古屋始発の一番列車だったからか、名古屋駅でICカード清算しての切符購入を確認してくれたのか、少し待ったあとそのまま改札を通らせてもらえました。

JR東海さんありがとうございました、もう文句は言ったりしませんから!

いそいそと飯田線に乗り換え。

 

すぐに小坂井駅に降り立ち、気を取り直して歩きスタートです。

 

駅から歩いてすぐに前を通る旧東海道に出たその辻に石物があるのを見つけました。

 

「五社稲荷神社 東 三・・・」

下部が埋もれてるけど東へ三丁だと思われます。

 

五社神社は今も参拝されているようです・・・これですね。

 

まずは・・・。

平坂街道スタート地点をストリートビューで下調べしてるときに、昔歩いた時に印象的で見覚えのある東海道名残松が見えたので、ちょっと見に行ってみます。

この東海道と鳥居と松のコラボが印象的なんです。

 

あれ、ない。

松がない。

1年前のストビューではあるのに・・・。

 

ああ、切り株が。

倒れたら被害が出てニュースになりそうな場所だし、虫食いとかで安全のために切られたのかな、残念。

 

今日2度目の、気を取り直しての、平坂街道ようやくスタートです。

第一歩は東海道からの追分なのに地味なこの路地から。

いきなり区画整理消失区間なので大体このあたりが、という地味なスタート地点です。

 

踏切の向こうは大木の目立つ神社があるのでそのあたりは昔のままかも。

 

宝飯郡小坂井町はもうありません、調べると合併先は豊橋・・・ではなく豊川市なのか!

今いるここは豊川市なのでした。

 

土地勘のない尾張民からしたら豊川市は豊橋市の山側に入った隣、新城との間のイメージなので、

改めて地図を見直してみると、豊川市海持ってたのですか!って感じで意外です。

 

歩き出してすぐに目につくのは、ちょくちょく民家の庭の端っこにある小さな祠。

石または瓦の材質の小さな祠が北西の角にあるみたいですね。

この日は1日中あちらこちらで見かけました。

 

 

 

直球な看板。

 

しばらくは消失区間が多いのですが、明治以降の道にもそれなりの歴史はあるよね。

 

ジムかと思ったらデイサービスだった、マッチョになれそう。

 

これは・・・車種は?

 

名鉄の線路通過、伊奈駅留置線前を通ります。

 

平坂街道は右、工場と住宅地の境目をひたすら真っすぐ。

 

子供の頃は電気製品は近所にあったこんな感じのナショナルのお店に頼ってたなぁ。

 

ローカルな史跡が出てきました。

調べると東漸寺とは近くにある、伊奈城主本多氏菩提寺でした。

 

いや、和尚、付近の農民とも折り合いが悪かったのか?と突っ込みを入れたくなります。

 

JR東海道線の踏切を渡る手前にお堂がありました、観音さまに今日の無事をお願いします。

どうやらこの踏切が「平坂街道踏切」だったのですがうっかり見落としました。

 

 

どうにも殺風景な道ですが先に先に。

 

この曲線だけが頼りの平坂街道。

 

解体中の橋がありました、あんなふうに真ん中の橋脚部分とその上だけ残すの?

ここからどうするのか激しく気になります。

 

 

また解説板があって、地味目の史跡でも読んで歩いてると楽しい。

 

佐脇城主さんのお墓。

家康の娘婿、奥平信昌さんの家臣で長篠の戦いで戦死したそうです。

鳥居強右衛門と顔見知りだったのかもしれません。

 

分かれた道に古そうなコンクリート製の橋が見えます、古い橋は凝ったデザインがいいんですよー。

 

見に行くと「夏橋」という名前。

 

昭和四年一月「改築」、94年前か、やっぱり歴史ある古い橋でした。

 

一連の並びは山ヨ榊原商店さん、老舗の海苔屋さんでした。

今は家に焼きのりたくさんあるんです、そうでなければ覗いたのだけど。

 

山ヨさんの隣のこのお堂にも裏に例の小さなお堂がくっついています。

 

 

ごくわずかに街道の匂いはあるような・・・。

 

かわいい豊川の消火栓のフタ。

やはり豊川といえばキツネなのでした。

 

看板小屋がありましたが地元ネタ看板ばかり。

 

ただ、なぜか獣医さんの看板がたくさんあってなんで?

全部で5軒もの獣医さんの看板、このあたりで大ペットブームでもあったのでしょうか?

謎です。

 

造園業のお宅の庭先の見はり番ゴラーちゃん。

名前からするとゴリラか、ゴリラなのか?

 

33よりいっぱいなお地蔵さまと観音様、保育園も運営のお寺さんなので入れませんでしたが壮観。

そういえばこの日は観音さまを見る機会が多くて、お地蔵さまより観音さま優勢な地域。

三十三観音、あちこちのお寺で見かけました。

 

さてこの先、旧御馬村集落内のこたこたした道が突き当り左に曲がるT字路角にお堂があるのを見逃せません。

ここまでほとんど道端の石仏は見ませんでした。

 

手を合わせて覗き込んでみると、台の部分!

正面はハッキリ読めませんが「三界・・・」かと思われます。

 

その左右は道標でした!

今日初めて見つけた道標です、ようやくあったよ~。

「右 よし田」

よし田は東海道吉田宿の吉田、現在の豊橋。

平坂街道を経ての吉田です。

 

「左 ごゆ」

これも東海道の御油宿の御油でした。

吉田を経由せず直接御油方面に行く道を示してました。

道標大好きウォーカーとしてはようやくテンションMAXに上がりました!

 

お寺さんの前を通り次のT字路を右に曲がるのですが、その辻に洋館やら石碑やらがあります。

まずは左に見えた洋館を正面から見に行きます。

 

和風洋館的な感じで、今泉醫院とありました。

いつごろ建ったのか、かなり古いようですね。

どうやら調べてみると昭和4年の建物で、有形文化財指定されている貴重な建築のようでした。

 

 

戻ってT字路の所、石碑があります。

後ろのこの白い建物が現在の今泉醫院でした。

 

現代は「今泉歯科醫院」となっていました。

今も旧字の「醫院」を使っているのが歴史を感じます。

 

さて石碑は・・・泉橋跡。

 

読んでみると、今泉健蔵さんが昭和3年に平坂街道の不便な場所を自腹で橋も架けたりして整備したよという記録でした。

健蔵さん、やっぱり今泉醫院の御先祖さんでしょうね。

ありがとうございました。

でも、旧今泉醫院の庭に移したという泉橋親柱は、道からのぞき込みましたが見えませんでした笑。

先ほどの道標地蔵さまのことも書かれていました。

 

街道はJR愛知御津駅からの商店街と交差します、御津(みと)って読めませんよね。

 

この道、ホーロー看板が見えたりしてちょっと昭和商店街ぽく面白そうなので寄り道してみます、続きます。