***前回の記事、その37より続きです***
灼熱の伊勢路を歩きはじめた遠い記憶がありますが、いつのまにやら極寒の季節になっていました。
真っ暗の中家を出て、近鉄電車の中で夜明けを迎えます。
早朝の急行電車は窓からのひんやり感がちょっと寒い笑。
今回の伊勢参宮の旅は明星駅から再開です。
伊勢方面に歩き出してすぐの転輪寺の表門は田丸城からの移築とのことで見ていきます。
「と、伝えられる」、と微妙な表現ですが屋根はむくってるしやはり只者ではないかな。
ガイドブックには南門は松坂城の移設とありましたが現地では解説や表記はありませんでした。
境内の写真を一枚写しましたが、今見るとここにある何だった記憶にない石柱が激しく気になります。
昇ったばかりの朝日が眩しい~!
街道沿いの家はすっかり妻入り伊勢タイプの家がメインになってきましたよ。
蔵を眺めて見上げていたら窓の上、庇の下の飾りのレリーフが気になりだしました。
小さなスペースなんですが凝ってる。
この日その後見かけた蔵も同様の形でいろんなレリーフが見られました。
新茶屋、という地名どおり昔から街道沿いに栄えていた町らしく良きシルエットの家が続きます。
街道から少し入ったところにもう一つ移築城門があるという事で少しだけコースアウトします。
途中の神社に為征清軍凱旋危難、という石物がありました、日清戦争後のものでしょうか。
ホントにこの道でいいのかと心配になるころ・・・。
ありました!
ここは「伝わる」ではなく移築したと言い切っているので確かなようですがちょっと状態が心配ではあります。
街道に戻ります、すぐにまた見所!
カウントダウン道標です!
従是外宮二里、の道標です!
外宮まであと約8キロです!
こちらの面には宮川江一リ
丸に小、伯州 小倉屋□□
伯耆の国(鳥取県中西部)の商人、小倉屋さん建立なのですね。
日本全国から人の集まるお伊勢さんならでは。
嘉永六年、ペリー来航の年です。
黒船来航しても国内は平和だったんですね。
もう片面が塀に近すぎて見えない!
隙間にスマホを差し込んで最大広角で撮影してみます。
うーむ。
六けん、せき、四日市など多くの地名の文字が見えるのですがちょっと頭を悩ませていました。
答えは「近世以前の土木・産業遺産」の中にありました。
3行並びで書かれていて、
くし田川江二リ 津江七リ
まつ坂江三リ せき江十三リ
六けん追分江四リ 四日市追分江十四リ
だそうです。
ちゃんと見えたらテンション上がるのになー。
個人的には道標は書かれている地名が多い程テンション上がります。
あと、指さしタイプや東西南北揃いも好きだな。
伊勢神宮まで二里のカウントダウンで意気揚々。
嬉しい手書きの案内版とか歓迎板。
この先のお大師様のお堂にお参りしていくと一番良いとのことなのでこれは手を合わせていかないといけません。
片参りは良くないですからね。
ポイすてはしませんから大丈夫です。
程なく・・・お大師様このお堂ですね。
静かに手を合わせていきましょう。
ちょっと目が怖いってば、バチとかよりもたたりはイヤですってば。
ついに伊勢市に入りました!
さすがにちょっと感慨深いや。
石物のある一角があり、解説もあるので見てみます。
江戸期、飢饉疫病などで苦しい頃が続き、徳浄上人というお坊さんが伊勢両宮に千日ものあいだ素足で日参したって、すごいな。
3年間毎日伊勢神宮まで裸足で通ったんですよ。
直線基調だった伊勢参宮街道がゆらゆらと曲がった先に・・・ついに。
お楽しみだった街道沿いにあるへんば餅のへんば屋本店到着です。
営業時間は8時から、店内飲食は9時から、9時ジャスト入店笑。
お店で休憩がてらへんば餅2個セットをいただきます。
持ち帰りのお土産にはさわ餅をいただきました。
さわ餅は主に志摩地方の郷土のお餅です。
さわ餅の包装紙のイラスト、三方荒神という鞍に人を乗せている場面。
その三宝荒神という3人乗れるスペシャルな鞍が店内に飾られています。
3人乗り参宮タクシーみたいな感じ?
店内は靴を脱がずにくつろげます、まさに江戸時代の街道の茶店ですね!
イートインではお茶もついてます、それではいただきます・・・。
我が家ではへんば餅はお気に入りで伊勢方面に来た時は帰路に国道沿いの宮川店でお土産としてよく買っていくのです。
帰宅してから美味しくいただくことは多いのですが・・・。
このあさイチ出来立てのへんば餅のぷにゅっとした柔らかさはなんとしたことか!!
やっぱりお餅は出来立てが美味いわ~!
伊勢参宮街道歩きする方はぜひここは朝早くに通ってくださいね!
あ、それからさわ餅もホント美味しいので複数人でならシェアをお勧めします。
へんば餅をいただきつつ江戸時代の旅人気分で、続きます。