***前回の記事、その38より続きです***
伊勢参宮街道に今も残る茶店、名物へんば餅での腹ごしらえも終えて、伊勢に向けて行きますか!
流石に伊勢市に入ったら街道沿いには妻入り伊勢タイプ家屋がズラリ。
あれは道路元標!
三重県では里程標は数多く見ますが道路元標ってホント見ないので貴重。
小俣町道路元標。
紀州藩高札場跡の石碑を左に曲がるとマンション前に解説板があります、なんだろ。
明治天皇が休憩した奥山家住宅がここにありましたよ、とのことでした。
ストビュータイムマシンで過去に戻ってみます・・・。
・・・2012年には健在だった!
よく、山で無理するなという意味で「山は逃げない」と言いますが街道は逃げますね、急がねば笑。
ずっと妻入り家屋のオンパレードです。
この屋根、手前は曲線でむくってるのですが奥の方は直線なライン、変わってるな~。
同じような家のように見えましたが、よく見ると同じ妻入り家屋でも二階部分の破風の部分にも軒がんぎのような板が付いてる、破風板からさらに伸びてるパターンが多くなってる。
なんと呼ぶのか?
遠くに宮川堤防が見えてきましたが、その手前の小さな川の橋に石物がありますね。
上部の形から常夜灯の基部ですね、「参宮人見附」。
宮川渡し前の何らかの検問所的な場所だったのでしょうか?
いやしかし問題は横から見てみると・・・。
なんてこったい!
早馬瀬神社の道標に続いてのまた真っ二つに割られ石柱ではないですか!
永代常夜燈との文字が明瞭に割られています、なんでやねん!
片割れが無いか探しましたが見つかりませんでした。
気を取り直して・・・。
ほめちぎるドローン教習所。
ほめちぎる自動車教習所に併設されてました、車校も褒めちぎってくれるようです。
怖い先生はきっといないんでしょう。
家から歩き繋いでついに来た、宮川に来た!
やっぱりちょっと感慨深いものがあります。
昔はこのあたりに桜の渡しがありましたが当然今は何もありません。
いや、階段から石畳が伸びてます。
そう、桜の渡しの渡し場の復元です。
ああ船で渡りたいね~。
この解説板の浮世絵の場所です。
しばらく待ってましたが渡し舟は来ないようなので、橋で渡りましょう。
JRの線路の橋脚はレンガ造りで歴史を感じます。
いま列車がきたらベストポジションなんだけどな~。
くぐりかけたら来ちゃいました、慌てて戻るけどタイミング合わず笑。
しかしこの鉄橋、架線がないのでシンプル&機能美あふれる美しさです。
堤防を歩いてると、あ、なんか石柱がありますよ、見に行ってみます。
コンクリート製ののっぺらぼうな三角柱。
うーん、コレ知ってるような、何だったっけ、以前ネットで見かけた記憶があるんだけど。
昔の名所案内的なものだったかな?
今いろいろ調べても見つけられない。
宮川橋。
街道ウォーカーお馴染みのセリフは・・・。
「歩道がない!」
歩道のない橋って直線で車は飛ばすし、歩いてると逃げ場がなくておっかないのです。
注意しつつ渡ります、やや交通量が少ないので助かりましたがやはり皆飛ばしてきます。
ヒヤッとしつつ立ち止まれば美しい宮川のきらめき。
あ、JR来た!
今度はタイミングバッチリ!
対岸にも解説板がありました。
下に付け足したように・・・おかげ参りをした犬、おさん。
忠犬シロのお伊勢参り。
調べてみると・・・犬のお伊勢参りはあったとか。
シロは今の福島県須賀川から、おさんは徳島県からきたおかげ犬だそうですよ。
途中で縁のあった旅人が代わる代わる伊勢まで連れてってあげたんでしょうか。
宮川を越えると外宮はもうすぐです。
銅器鐵器打刃物類。
大工?道具 油味噌。
伊勢マンホールもお伊勢参り気分を盛り上げます。
久しぶりに大物道標が現れました。
解説板があるのでありがたいです!
茶屋町の道標。
左 二見浦 二里十五丁
右 宮川渉場 六丁三十九間
そして、伊勢神宮への案内面。
すぐ 外宮江十三丁半 内宮江壱里三十三丁半
文政五年、大坂の吹田屋さん建立ありがとうね。
にゃん。
伊勢参宮街道に面した妻入り売り家あり〼。
そしてとうとう現代の道標が出てきました、外宮あと1.4キロです。
いよいよ伊勢神宮目前まで来ましたよ、ここらでお腹が空いてきたのでどこかお店ないかなと探しつつ・・・続きます。