県を越えるな・・・で、
出来ていなかった両親のお墓参りに
久しぶりで行ってきました。
わたしが育ったのは岐阜県の山の中。
山の町ではなくて、
本当~の山の中です。
杉や檜も植林されていますが、
谷川には自然の植生。
山藤が咲き始めていました。
クマとも共存。
町を外れると、まさに山また山。
久しぶりで行ってみて、
蘇ったのは、
自分の根っ子が、この環境に育てられたのだな
という記憶。
テレビもあったけど
<・・・って、どんだけ昔?>
子ども心にも、テレビドラマは架空の世界で、
その頃の確かな日常の記憶は・・・
雨が降ると空気の匂いがかわること
冬が終わって春が来たことが感じられる
川の音や木々の芽吹き
草や葉をプチっとちぎった時の感覚
枯葉を踏む時立ち上がる秋の匂い
等など。
街暮らしの今の自分を一枚一枚剥がして行くと
その一番奥の自分の感性が
そんな経験で出来ていることに思い当たります。
現代に生きているので
当然わたしも、ITのお世話になり、
SNSも使っていますが(←恐るおそる)
そんな暮らしの今でも、
自然の中に居て自分もその一部であると感じていた子どもの頃の感覚が
自分の根っことしてあるように思えます。
この時代に生まれて来た小さい人たちは、
どのような自分の根っこを築くのでしょうか。
自然にあふれた中で育ったわたしが、
すごい人間になったかといえば、
残念ながらそうではないし、
だから、何が正解かはわかりません。
この時代に育つ人たちの根っこについては、
想像が追いつかない部分もあります。
でも、山また山・・・ではなくても
身近な公園や街路樹や
玄関のプランターにも豊かにある
自然を感じながら育ってほしいと思います。
久しぶりの山道ドライブで思ったことでした。
今日ご紹介するのは、
自然を身近に感じる1冊です。
感性が揺さぶられます。
雨は、日常の中に自然を感じる
近道かもしれませんね。
あめのひのくまちゃん
高橋和枝/アリス館/本体¥1,300.
雨が降ってきたので、
くまちゃんは、
さっきまで遊んでいた野原がどうなったか
見に行くことにしました。
野原には、雨の降る音。
葉っぱに落ちた雨粒が滑り落ちる様子。
池に降る雨が作るいくつもの輪っか。
ぬかるんでくる足元。
やがて、山鳩の
もうすぐ日が暮れるよ
雨はまだまだふるよ
という歌が聞こえて、
くまちゃんは暮れ始めた野原を後に
お母さんの待つ家に帰るのでした。
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