「死にたい」と「生きたい」の境界線【ASL・スピリチュアルペイン】


こんにちは。

あなたは自分が死ぬことを考えたり、死を心から望んだことはありますか。

2020年7月、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性患者からの依頼を受けて、薬物を投与して殺害した「嘱託殺人」の容疑で2人の医師が逮捕される事件がありました。

生前、彼女が書いていたブログには、ALSや死についての苦悩や葛藤が綴られていました。

この調子で元気を出せたらいいんだけどなぁ。

こんな身体で生きるこの世に未練はないな、、、

惨めだ。こんな姿で生きたくないよ。

「死」 を選択することへの後ろめたさや罪悪感からまだまだ逃れられていないんだな、、、

早く楽になりたい

ALSという病気の過酷さを知ると、彼女が死を望んでしまったことはやむをえない気がしますし、もしも自分がそのような状況であれば、きっと同じように考えてしまうと思います。

一方で、ALSの患者さんの中には、精力的に活動したり、活躍の場を広げている人もたくさんいらっしゃいます。

両者にはいったいどのような違いがあったのでしょう。

今回は、ALSの女性患者が死を望んでしまった理由や、「死にたい」と「生きたい」の境界線について考えてみます。

ALSとは

ALS (Amyotrophic Lateral Sclerosis:筋萎縮性側索硬化症)とは、身体を動かすための運動ニューロンが徐々に壊れれていってしまう進行性の神経難病です。運動ニューロンが壊れてしまうと、脳からの命令が筋肉に伝わらなくなってしまい、身体を動かすことができなくなってしまう病気です。

その病因には様々な説がありますが未だに解明されておらず、根本的な治癒が困難とされる「指定難病」に認定されています。

運動ニューロンが壊れてしまうことで、徐々に手足を動かすことや、会話や食事、自力で呼吸をすることすら難しくなってしまうのですが、それ以外の神経は正常なため、痛みや痒み冷たさなどを感じる感覚は残っており、見たり聞いたりもでき、意識もはっきりとしています。

「自分が徐々に動けなくなって行く中で、自らを取り巻く状況は分かってしまう。」

という状況に、恐怖や大きなストレスを感じてしまうことが多いようです。

TLS(完全な閉じ込め状態)

ALSは徐々に身体が動かなくなってしまう病気ですが、頬や指先、眼球など少しでも動かせる所があれば、その微細な動きをセンサーで察知して文字を書いたり読み上げたりすることができる意思伝達装置を使って、外部とのコミュニケーションをとることができます。

冒頭の女性も視線入力式の意思伝達装置を利用して、ブログやTwitterで情報発信をしていました。

そんな患者たちさんが一番恐れるのがALSの最終的な段階 TLS[Totally Locked-in State(完全な閉じ込め状態)]という状態。意識や思考力はあるものの、完全麻痺で目さえも動かすことができない、完全に閉じ込められた状態になってしまうことです。

「意識や感覚があるのに、伝えることができない。」

いつか病状が進行してしまい、それが、いつまで続くのかわからないというのは、想像するだけでも恐ろしい状況です。

ALS患者の生活の質は身体機能と相関しない

根本的な治療法もなく最も過酷な病の一つといわれているALSですが、患者さんの身体機能低下の程度とQOL(生活の質)の低下には必ずしも相関関係があるわけではないようです。

2016年12月から2017年1月にポーランドで、閉じ込め状態(Locked-in State:LIS)のALS患者19名に、QOLやうつ、精神的苦痛に対する対処、人工呼吸器装着や胃ろうに対する満足度、死への希望を調査したした研究の報告では、身体機能の喪失がもっとも重度であった患者5名は主観的な幸福感があるという結果でした。また、早く死にたいと考える患者は19名のうち2名で、多くの患者は自身の生命維持療法に満足し、生きる強い意志を持っていたのです。

Just a moment...

もちろん、この結果については、「日本とは医療制度の異なる海外でのこと」「調査研究への参加を決めた患者であること」や「全員が同じ世帯に主介護者と同居であったこと」など、様々な要因があるため日本の患者さんと一概に比較することはできません。また、もし今後「完全な閉じ込め状態:TLS」になってしまった場合にも同じ心境でいられるのかもわかりません。

それでも、「閉じ込め状態」という過酷な状況にあっても、その状態に適応する方法を見つけ、人生を享受する患者さんがいらっしゃるというのも事実です。

どうして死を望んでしまうのだろうか[スピリチュアルペイン]

ALSの患者さんでも、生きることに強い意欲を持つ人もいれば、死を望んでしまう人もいる。

両者を分かつ要因は、家族関係、経済状況、介護の状況、その人の気質、などいろいろ考えられますが、今回は患者さんの感じる苦痛という観点から考えてみます。

患者の苦痛や問題に対応して、よりよい人生を送ることをサポートする「緩和ケア」の世界では、患者の苦痛をトータルにとらえる「全人的苦痛(トータルペイン)」という概念があります。

「全人的苦痛」は近代ホスピス運動の創始者と呼ばれる英国の医師シシリー・ソンダースが、末期癌患者との関わりを通して提唱したもので、以下の4つの要因が患者の全人的苦痛を形成しているとしています。

1)肉体的苦痛

体の痛みや症状、日常生活動作の支障、等

2)精神的苦痛

不安、いらだち、うつ状態、孤独感、等

3)社会的苦痛

経済、仕事、家庭、人間関係、相続等に関する問題、等

4)スピリチュアル・ペイン

人生の意味への問い、自責の念、死への恐怖、価値観の変化、死生観に対する悩み、等

死を望んでしまったALS患者さんも、これらの様々な満たされない痛み、中でも生きる意味や価値を見失うことによるスピリチュアル・ペインを抱えていたのではないでしょうか。

自身の状況が家族への負担を強いてしまう。

これまで果たしてきた家族や仕事での役割が失われてしまう。

「こんなに迷惑がかかるなら、、、、こんな状態で生きていたくないよ」

生きる意味を見失ってしまった患者さんに、私たちはどのように寄り添っていけば良いのでしょう。

寄り添うこと

スピリチュアル・ペインは人間存在に係る根源的な苦痛です。その本当の苦しみは本人にしか理解できず、周りの人は答えを出すことなどできません。

もし、あなたの大切な人が苦しんでいて「死にたい」と言われたら、あなたはどうしますか。想像してみてください。

何と答えて良いか分からずに、沈黙してしまう。

その場しのぎで「何言ってるのよ」なんて言ってみる。

もしかしたら、そんな相手といるのが辛くなって、距離をとってしまうかもしれません。

でも、あなたが離れてしまったら、相手は孤独を深めていってしまいます。

患者さんを孤独にしないためには、相手の辛い気持ちに寄り添うようにしてみましょう。

「死にたいと思うくらい、つらいのね」

そういって相手の気持ちを受け止めたよ、という返事をしてみましょう。

言葉に詰まって答えられない場合には、そっと相手の手を握って寄り添うだけでも十分です。

あなたは一人じゃないということを伝えてあげるのです。

冒頭の死を望んでしまったALS患者の方は、自身のブログで「死ぬことばかり考えていたら周りからどんどん人がいなくなってしまった」というようなことを書かれていました。もしかしたら”周りに迷惑をかけるから”と、無意識に離れていくように仕向けていたのかもしれません。

でも、そんな孤独が、不幸な嘱託殺人を招いてしまった可能性もあります。

一方、ポーランドの閉じ込め状態のALS患者を対象とした調査で「生きる強い意欲を持っていた患者さん」は、同じ世帯にパートナーや他の近親者、専任の介護者と同居していたそうです。

つらいときに、寄り添ってくれる誰かがいることが、スピリチュアル・ペインの緩和や死にたい気持ちの抑制につながるケースがあるようです。

「死にたい」と「生きたい」の境界線には「寄り添うことができる誰かがいるかどうか」が関係しているのかもしれません。

「死にたい」と「生きたい」の境界線

「寄り添うことができる誰かがいるかどうか」はとても重要なことですが、一方で、実際には気にかけてくれる家族や友人がいても「死にたい」という気持ちを抑えられない、ということもよくあるのではないでしょうか。

冒頭のALS患者の方も、発症後に家族と別居し、友人たちも遠ざけてしまった面もあったように感じます。

それは、もしかしたら、理想の自分にたどりつけないと自分を責めてしまうような「自罰意識」が強いからかもしれません。

病気によって、今まで普通にできていたことが、どんどんできなくなってしまう。

でも、自分の努力や頑張りだけでは、どうしようもできない。こんな自分が、他人に頼るなんてとんでもない。

そんな切迫した状況に「こんな自分なんて価値がない」と絶望してしまう。

こんな風に自分を追い詰めてしまうと、自分を気にかけてくれる家族や友人の優しささえも負担に感じてしまう。

こんな悪循環にハマってしまうのは、幼少期の頃から「~すべき」「~しなければならない」という刷り込みをされて、「~できない」自分を受け入れられなくなってしまっているせいかもしれません。

【認知のゆがみ】「~しなければならない」という呪い

一方で、小さな頃から、何の条件や制約もなく、ありのままの自分を愛してもらった方は、自分がどんな状態でも「わたしはわたし」とありのままの自分を受け入れることができる。

そうすると、家族や友人たちを遠ざけることもなく、自然に他人を頼ることもできるのではないでしょうか。

ですから「死にたい」と「生きたい」の境界線には、ありのままの自分を受け入れられかどうか、というラインがあるのかもしれません。

ALSの女性患者が死を望んでしまった理由や、「死にたい」と「生きたい」の境界線についての考察は以上です。

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