太郎の方向性とは

太郎の演説の文字起こし。読んでみると、面白い。
太郎の都知事としての政策は…一言で言えば、「大きな政府(この場合は地方行政)」ということに、なるかもな…。
効率化、スリム化、小さな政府で税金を安くする、というのとは「逆」の方向性である。
そして…「人に優しい都政」を実行するにあたって、一番必要な「お金」は、多額の地方債を分割で発行していくことによって、賄う、としている。
もうひとつは、金を配るから、使ってくれ、というそれ。
貯め込まず、みんなでお金を回そう、それによって、不況をなんとかしようという、まあ普通の「経済」の理屈。
普通の人が、あまりお金を使わないのは、それは将来が不安だから。
そこは、手厚い福祉でもって、「貯め込んだ金を持っていなくても、大丈夫だよ」ということにならないと、人は、お金を使わない。
その「ジレンマ」を、「すぐに」解消できるのかどうかといったら、それは難しい…「バクチ」のようなものだから、だ。

太郎のバクチ

太郎がそう言うから、ガンガンお金を使ってしまった、しかし太郎の政策では、もしものときの補償が足りなかった…ということになれば、また「自己責任論」に戻っていくわけで。
うーん、なんとなく…アベノミクス的なタローミクス、これに賭けてみようと思う人は、どれくらいいるのか…。
「人に優しい都政」には、カネがかかるのだが、そのために大借金をするという太郎、それでもみんなで金を使えば大丈夫だという太郎、まあそうかもしれないが…これはひとつ、バクチ的要素が高く、やはり太郎というのは、昨年の参院選の戦法を見ても、バクチ的なところが、かなりあるという人なのかもしれない。
太郎と一緒に夢を見ようと思う人というのは、今よりも悪くならないというくらいに、ひどい状態の人…または若くて、まだ何も持っていない人…だろうなあ。
「守りたい資産」が、ある程度あるような人は、たぶん太郎のバクチに乗るよりは、別の「バクチ性が低い誰か」のほうを選ぶ。だろう。
どうなるんだろうかなあ…。
そして、太郎が都知事になったとしても、議会との対立は、どうする気なのか…。