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大袈裟太郎は先見の明があったというか、なんというか…

大袈裟太郎は、6月の都知事選出馬会見の段階で、このようなツイートをしていたと知って、驚く。

…7月になってから起こったゴタゴタの予言だったような…なんだろうな、大袈裟太郎というのは、先見の明があるというか、なんだろう。
れいわについて、突き詰めて行った人は、みんな、「そこ」に行きつくのである…。

「都知事選は大西のすすめ」は、有り得ない

興味深いのは、大袈裟太郎が、山本太郎の都知事選出馬は「党をやってる人」の指示だったのだろうと推測しているところである。
これについては、大西つねきだろうと言っている人もいるが、それは有り得ないと思う。大西つねきというのは、除籍劇で判明したように、もともと太郎との「距離」は、遠かった人であり(そもそも公募)、「近いように見せていた」のは、大西のほうの技術だったのである。
ゆえに、大西がすすめたから都知事選に出たなんてことは、有り得ない。
そして、都知事選出馬が「党をやってる人」の指示だと推測する大袈裟太郎は、その理由はずばりお金集めだと、指摘している。
私が言っているんじゃありませんから。
そうなんだろうか。

いつまで沈黙できるか、山本太郎

このように、有名人が実名で告発しているような「疑惑」(それも、6月の段階で)について、太郎側は、ずっと前の街宣で説明した以外には、斎藤との関係について、沈黙を決め込んでいるが…これは、いつまでもは続かないだろう。
そして、「れいわ新選組」とはいったいなんだったのか、支持者たちが、大声でその答えを、求め始めるだろうなあ…だって、れいわの場合には、「支持者≒寄付者」とか、「支持者≒ボランティア」なんだから、ただ支持していただけとか、ただ投票してあげただけという人のほうが、少ないかもしれないんだから。
人は、投資をした場合には、説明を求めるものである。
れいわ新選組とは、もしかすると、斎藤まさしとその仲間による選挙ビジネスのための集金システムだったのか?
もしもそうだとしたら、人並み外れて頭が切れるはずの太郎は、なぜ、諾々としてそれに乗ったのか?
そもそも、そんな答えは、支持者たちは、欲しくないだろうが、なんらかの答えは、欲しいはずである…すると、どうするんだかな。
れいわ新選組とは、斎藤まさしとその仲間による選挙ビジネスのための集金システムではない、とするならば、それについて、支持者の納得のいく説明を、しなければならず、そうなると、党のスタッフが斎藤の仲間だらけなことや、都知事選への強引な出馬とその敗戦への総括の欠如について、どうやって説明するんだかと、思うのだが。