街宣は山本太郎のレゾンデートルだった件

さて、大阪府警が山本太郎の街宣を弾圧事件。
毒にも薬にもならない的な感じのJ-CASTニュースが、わりと冷静に「双方」の意見をそのまま伝えてくれていますね。

 

 

れいわ側では、街宣車を使わないなど譲歩をしたうえで決行した、とか。
大石あきこさん筋の情報では、一度はやってもいいと言われていた、とか(速報「週刊大石ちゃん自由自在(仮)号外」: 日刊・深夜快速)。
大阪府警側の言い分というのは、「許可を出さなかったのだから、やめろと言うのが当然」だと。

受理をさせて非承認通知をもらうべきだった

まね、役所的に、細かい「?」な部分は、ありますが…「非承認通知」を出さなかったのは、なぜなのか。それは、申請書を受理してしまって、「正当な非承認理由」を探してきてくっつけるのが、面倒くさかったからでしょう。
だから、そもそも受理しなかった。これ、役所特に警察がラクをするための常套手段。
だから、そういうときには「非承認通知をください」と要求すべきなんですね、本当は。
とにかく、あの場所で、あの日には、やらせたくなかったわけ。
まっすぐそばで、維新の街宣をやっていたことと無関係というふうには、ちょっと思えない。
なお、れいわ新選組側は、今回の件について、「公式の声明」は出しておらず、このままグズグズにするぽいですよね。
舩後さんの名前で府警に質問状を出すとかも、しないぽいなあ。今のところ。
やったほうがいいと思うけどねえ、れいわ新選組のためだけじゃなく、国民のためを思った場合には。

そういう意味では「世界レベル」である

私は今回の件で思ったのは、ああ、今の山本太郎って、本当に、「街宣」がレゾンデートルなんだな、って。
いい意味でも、悪い意味でも、今の彼にはそれしかないんだな、って。
だから、例えばですよ、警官隊を目の前にしても、太郎だけは平然とスピーチをするだろうな、というふうには、思ったんですよね。
銃弾が飛び交っていても、するんだろうな、って。
そういう意味では、彼の「街宣」というのは「世界レベル」であると、言えるわけです。
どういう状況でも、街宣する、殺されてもやる、誰にも止められない、それが山本太郎にとっての街宣なんだなって。

街宣が原因で命を落とした人たち↓

調子のいいときだけやるというような、お上品な街宣とは違うんだ、と。
そうですよね、世界的に見れば、街宣というのは、なんらかの「抗議活動」でもってやるという場合のほうが、普通なんで、弾圧がある中でやるというほうが、多いわけで、そういう中でも「やれる」のは、日本では山本太郎だけなのかもしれないなって。
しかし…まだまだこれから、やらねばならないことがある太郎、万が一にも、街宣で命を落としたりすることがないように注意してほしいとは、思うのだった。