今日は妻の第一命日なので、お墓参りに来ています。
1997年の今日の夜22時過ぎ、突然に吐き気と頭痛を訴え、トイレに駆け込み、そのまま意識を失い、もう戻ってはきませんでした。
救急で運ばれた県立病院で、当直だったのは、私と妻の中学の同級生。妻とは小学校からの幼馴染。
懸命に治療してくれたのだけど、翌朝、彼は私に脳死を宣告しなければなりませんでした。
脳死を理解できていなかった私は、心臓が止まる12月11日の第二命日までの13日間、いっときも妻から離れることなく、戻ってくることを信じて、最期の時間を過ごしました。
24年前、当時5歳と3歳だった娘達は、それぞれ高校と小学校の教師として働いています。そして私も大学に加えて、来年からは高校でも教鞭をとります。
なぜ教育方面なのか?と言われると、やはり妻のことその後のことが大きく影響していると思います。
詳しくは死別父子家庭自叙伝本編にて。
そして今年は、長女の結婚という家族の大きな報告もあります。
晴れて良かった!青空の向こうで、笑ってくれているだろうな。