ただ今、両祖様のご命日である両祖忌と、達磨大師のご命日である達磨忌の法要を合わせて営みました。

 両祖様とは、大本山永平寺をお開きになった道元禅師と、道元禅師から数えて4代目、大本山總持寺をお開きになった瑩山禅師のお二方のことです。この修道館のご本尊は一仏両祖といって、中央にお釈迦様、君たちから見て右側に道元禅師、左側に瑩山禅師の像をお祀りしています。

 道元禅師は、建長5年、1253年、陰暦の8月28日に54歳でお亡くなりになり、瑩山禅師は正中2年、1325年、陰暦の8月15日に62歳でお亡くなりになりました。しかし、お二方のご命日を陽暦に換算すると、奇しくも同じ9月29日となります。そこで、この日を両祖忌としています。
 一方、達磨大師は5、6世紀の頃の方で、南インドの香至国という国の第三王子であったということですが、出家をして般若多羅尊者という方について坐禅修行に励み、相当高齢になってから中国に禅を伝えられました。そこで、中国禅宗の初代の祖ということで、震旦初祖とお呼びすることもあります。震旦とは中国の異称、別名です。亡くなられた年は定かではありませんが、ご命日は10月5日とされていて、この日を達磨忌としています。
 達磨大師と言えば、面壁九年ということがよく知られています。中国に到着した達磨大師は、梁の武帝に招かれて問答を交わしますが、機縁かなわず、武帝のもとを去ります。そして、揚子江を渡って少林寺に至り、壁に向かって九年間坐禅を続けて、慧可大師という法を伝えるべきお弟子を得たと伝えられています。
 達磨大師がインドから中国に伝えた禅は、その後、大きく発展して(五つの家に七つの宗と書いて)五家七宗(ごけひちしゅう)を形成します。13世紀になると、道元禅師が中国に渡って、そのうちの一つ、曹洞宗の如浄禅師について修行大悟して、その教えを日本に伝え、さらに瑩山禅師がそれを日本全国に広める基礎を築きました。そして、1学期の終業式でも話したように、今や禅は世界にも広がりを見せて、坐禅に親しむ人が増えています。
 曹洞宗の系譜に連なる世田谷学園では、その坐禅を体験することができます。早朝坐禅会には、毎週100人を越える生徒諸君が参加してくれています。以前、ある新聞社から早朝坐禅の取材を受けたことがあります。そのとき、坐禅が終わって退堂する一人の生徒が「坐禅をするとどんな感じになりますか?」という質問を受けました。彼の答は「スッキリします」ということでした。「スッキリする」、簡単ではあるけれども、私は的を射た言葉だと思います。
 私たちは日常の中で、静かに自己を見つめるという時間をなかなか持てません。そのために、貪り、不平や不満、妬みや怒り、思いこみ等々、さまざまな「オレが、オレが」の「我」、自己中心の「我」にとらわれていることも少なくありません。それは、心の中にゴミをためるようなものです。それが原因で、他人も自分も苦しむことがあります。例えば、ひとたび「アイツが気にくわない」と思えば、人には誰でも長所と短所があるのに、「気にくわない」という表面的な気持ちにとらわれて、そしてそれを正当化するために、相手の短所ばかりを探し出そうとしてしまいます。「とらわれる」というのは、受動的、無意識的です。だから、とらわれというゴミになかなか気づくことができません。だから、恐いのです。
 しかし、静かに坐って誠実に自己の心を見つめてみれば、そこにあるゴミの多いことにも気づきます。いらないゴミは捨ててしまうのが一番です。「今、ここ」の姿勢、「今、ここ」の呼吸に心を遣う、そのことに集中する。そうすれば、ゴミは自然と消えていきます。とらわれが手放されて、自ずとスッキリしていきます。それは人生を幸せに生きていく上で、大切な時間となります。
 君たちには、早朝坐禅だけでなく、「生き方」の授業、12月の臘八摂心、坐る機会が多々あります。坐禅は実参、実究です。坐ってみる、坐り続けてみる。そして、スッキリとした心を、育んでほしいと思っています。(両祖忌・達磨忌のお話から)