松山市の秋山兄弟生誕地を訪れ、秋山兄弟のカラー肖像額を贈呈されたときの新聞各社の記事。
画像左、習志野騎兵連隊史跡保存会顧問、三橋 秀紀氏
画像右、秋山兄弟生誕地運営委員長(常盤同郷会常務理事)、宇都宮 良治氏。
平成22年7月、習志野騎兵連隊史跡保存会におかれましては、秋山好古生誕151年を記念して秋山好古のカラー仕様の肖像額の制作を企画した。
制作理由は
秋山好古は、明治36年4月2日、騎兵第1旅団長として、東京市四谷区西信濃町から、千葉県習志野薬園台にある官舎に家族とともに転居、3年間在籍した。
そして母、貞が明治38年6月19日逝去、78歳。
同年5月19日、騎兵第1旅団長(騎兵13連隊・騎兵14連隊)として習志野から日露戦争に出征し。・・そして習志野に凱旋した。
秋山好古は、日本騎兵の育ての親として名を馳せた人物である。その人物を顕彰する意味を込めて、習志野騎兵連隊史跡保存会は、カラー仕様の肖像額の制作を企画した。
秋山好古が大将時代の白黒写真を基にして、当時、肖像画制作は日本一と称された、丸山 浩司画伯に依頼した。そして弟の秋山眞之の肖像画も依頼した。
習志野騎兵連隊史跡保存会は、秋山兄弟のカラー肖像額のレプリカを制作、平成22年11月25日、習志野騎兵連隊史跡保存会顧問である、三橋 秀紀氏(真言宗豊山派・薬師寺住職)夫妻が松山市の秋山兄弟生誕地を訪れ、秋山兄弟のカラー肖像額を贈呈された。
松山市の秋山兄弟生誕地を訪れ、秋山兄弟のカラー肖像額を贈呈されたときの読売新聞の記事。
松山市の秋山兄弟生誕地で、秋山好古のカラー肖像額が展示された時の産経新聞の記事。
秋山好古騎馬像の前で贈呈をされる、習志野騎兵連隊史跡保存会顧問である、三橋 秀紀氏(真言宗豊山派・薬師寺住職)画像左、秋山好古カラー肖像額の贈呈を受ける、宇都宮 良治氏(秋山兄弟生誕地運営委員長・常盤同郷会常務理事)画像右。
秋山眞之胸像の前で贈呈をされる、習志野騎兵連隊史跡保存会顧問である、三橋 秀紀氏(真言宗豊山派・薬師寺住職)画像右、秋山眞之カラー肖像額の贈呈を受ける、宇都宮 良治氏(秋山兄弟生誕地運営委員長・常盤同郷会常務理事)画像左。
秋山兄弟の肖像額を受け取る秋山兄弟生誕地の役員と観光ガイドを務める研究員各位。
画像の秋山兄弟カラー肖像額は、日頃は秋山兄弟武道場に掲示しており何時でもご覧いただけます。
肖像画の大きさは、10号(53センチ×45センチ)です。
新聞記者の取材を受ける、習志野騎兵連隊史跡保存会顧問である、三橋 秀紀氏(真言宗豊山派・薬師寺住職)
新聞記者の取材を受ける、習志野騎兵連隊史跡保存会顧問である、三橋 秀紀氏(真言宗豊山派・薬師寺住職)画像左と、宇都宮 良治氏(秋山兄弟生誕地運営委員長・常盤同郷会常務理事)画像右。
習志野騎兵連隊史跡保存会顧問である、三橋 秀紀氏と奥様お二人で秋山兄弟生誕地、生家である座敷で。
後日、習志野騎兵連隊史跡保存会会長と、騎兵連隊史跡保存会関係者が秋山兄弟生誕地にお越しになり、頂いた秋山兄弟肖像額の前で。画像右端の方が、習志野騎兵連隊史跡保存会、三橋正文会長です。
秋山兄弟の肖像画は、何時も秋山兄弟武道場に掲示しておりますので、お越しの節は是非御覧ください。
秋山兄弟のカラー肖像額は、全国に二つしかない貴重なものです。
一つは、習志野騎兵連隊史跡保存会に
もう一つは、秋山兄弟生誕地にて大切に保存いたしております。
秋山兄弟生誕地(生家と武道場)
秋山兄弟の肖像額は、秋山兄弟生誕地にある「秋山兄弟武道場」に展示しております。
平成22年11月25日から暫くの間、秋山兄弟生家展示場にて常設展示をしました。
平成22年11月25日から暫くの間、秋山兄弟生家展示場にて常設展示をしました。
秋山好古の肖像画を額から出して撮影。
まるで写真のように正確に描かれている。
秋山好古が大将のときの白黒写真を基にして丸山 浩司画伯が描かれた。
秋山眞之の肖像画を額から出して撮影。
まるで写真のように正確に描かれている。
秋山眞之が中将のときの白黒写真を基にして丸山 浩司画伯が描かれた。
制作者、丸山画伯の署名。
秋山好古生誕祭は、好古生誕月の1月初旬に開催、秋山眞之の生誕祭は、誕生日の3月春分の日に開催しておりますが、現在はコロナの蔓延のため、3月に兄弟一緒に生誕祭を開催しております。
生誕祭には、習志野騎兵連隊史跡保存会から贈呈されましたカラー肖像額を祭壇に飾り生誕祭を実施しております。
画像は、令和4年3月20日開催された、秋山好古生誕163年・眞之生誕154年歳の祭壇。
画像は、令和4年3月20日開催された、秋山好古生誕163年・眞之生誕154年歳で会場は、秋山兄弟生誕地の武道場。
画像は、騎兵第13連隊があった東邦大学薬学部校内にある、南 次郎揮毫の「武勇・信義・質素・忠節・禮儀」と書かれた立派な石碑が建立されている。
注1:騎兵精鋭隊員は騎兵第13連隊にあり、平時は、近衛師団の配下に所属し、有事となれば騎兵第14連 隊とともに、騎兵第1旅団に属し活動した。
注2:歴代の騎兵第13連隊長には、第3代・永沼 英文 第6代・南 次郎 第12代・山内 保次の優秀な連隊長がいた。
騎兵第13連隊は、最も実践向きの猛者揃いで、中でも、第6代連隊長、南 次郎の指導方針は、
1、騎兵精神の徹底。
2、将校団の団結。
3、戦術能力の向上。
4、武道奨励、特に敬礼は、身をもって範を示し、厳しいなかでも体罰はしないのが身上であった。・・とある。
習志野市にある東邦大学薬学部校内に南 次郎揮毫の「武勇・信義・質素・忠節・禮儀」
石碑が建立されている。
※ 東邦大学薬学部の許可を得て撮影。
松山市歩行町荷丁目3番地6にある、秋山兄弟生誕地に、南 次郎が揮毫した「秋山両将遺邸之碑」がある。
以前、鎌倉市在住の南 次郎の関係者の方が秋山兄弟生誕地に来られ、この石碑を案内しました。すると、尊敬していた秋山好古さんの生家に南 次郎が書いた石碑がある事は知らずに来ました。来てよかったと喜んでおられた。
東邦大学薬学部校内に南 次郎揮毫の「武勇・信義・質素・忠節・禮儀」石碑の存在をご案内すると是非伺いたいと言われた。
平成21年6月21日、千葉県習志野市習志野商工会議所・習志野騎兵連隊史跡保存会の御一行が秋山兄弟生誕地を表敬訪問した時の写真です。