平成18年4月28日、我が家に来た、ティーダ・18G(1800C・DBA-JC1-MR18)、15年間共に過ごした愛車と昨年12月27日に別れた。
画像は、平成18年5月11日、当時のティーダ・18Gです。
ティーダ・18Gの前に乗っていた車種は「ローレルメダリストターボ・2000CC
L20型6直列6気筒、頑丈な鋳鉄製エンジンで重く燃費は良くなかった。
特別仕様車で、松山には3台登録されていた。
ローレルメダリストで
富士山須走5合目2,000mまで2回行った。
2回目の富士山移動はJA5MX、徳永さんと行った。JA5MXさんと富士山須走で別れ、JR府中本町駅でJA1ESH(村田さん東京練馬区在住)と合流、日光東照宮、華厳の滝、竜頭の滝を観光し奥日光で宿泊した。
翌朝国道120号線で吹割の滝を見てJA1ESHさんをJR高崎駅に降ろし、私は、松本市の国宝松本城を見学、翌朝、長野道、中央道、名神、山陽道、瀬戸大橋、高松道、松山道を乗り継ぎ帰宅した。
その思い出がつい最近のことのようである。
残念ながらこの時の画像は殆ど8mm撮影で静止画像がなく掲載する事が出来ない。
日光観光は高校時代修学旅行に行って以来であった。
国宝松本城を見学。
静岡市の秋山好古揮毫石碑を取材。
ティーダ・18Gになってからは
秋山好古揮毫の石碑取材に、新潟市、静岡市そして富士山一周と私を連れて行ってくれた。本当にご苦労さまでした。
15年間走行した距離は、33,989kmと短く、年間平均、2,265kmで殆ど車庫に入っていた。
「ティーダ」の走行距離は、15年間で33989kmでした。
令和3年12月27日我が家から旅立ち、15年間ありがとう、家内と一緒に見送りました。
次は、どんな方に乗っていただくのか気掛りである。
もしかすると、外国に渡るかも知れません。
海外では、日本車は大人気だそうです。
故障が少なく丈夫であるからだそうです。
では、よろしければこれから画像のみアップしますので見てやって下さい。
なお、車名の「ティーダ」の意味は、「自然の調和」「時代の潮流」を意味する・・と日産自動車の営業マンから説明があった。
平成22年9月5日新潟市江南区沢海二丁目にある北方文化博物館で開催された歴史講演会が開催され、松山市から陸路画像の車「ティーダ」で行きました。
北陸に入って福井・富山は直ぐ通り過ぎましたが、新潟県に入ってからは幾ら走っても新潟県で嫌になりました。
平成22年9月10日付けの新潟日報に掲載され講師をされた神田先生から送られて来たので掲載します。
講演会次第は下記の通り
新潟市江南区沢海二丁目15番25号:北方文化博物館
歴史講演:「演題:秋山好古と横越の人々」と坂の上の雲とその時代
講 師:神田 勝郎 現在は北方文化博物館長
開 催 日: 9月5日午後1時30分~午後3時
開催場所:北方文化博物館
歴史講演:「演題:秋山好古と横越の人々」と坂の上の雲とその時代の新聞記事。
これからが「ローレルメダリストターボ・2000CC、L20型6直列6気筒、頑丈な鋳鉄製エンジン搭載の車の思い出での一コマです。
画像の場所は、鹿児島県指宿市開聞川尻にある「指宿ゴルフクラブ」です。
薩摩半島の最南端、薩摩富士と呼ばれる開聞岳(924m)の山麓に自然の地形を活かしたゴルフ場で、多くのプロからも高い評価を得ているコースです。
後方は東シナ海です。
平成16年7月15日、鹿児島県指宿市「 指宿ゴルフクラブ」での画像です。
指宿市に行った理由は、今は亡きJA1AKA荒川 賢(東京都練馬区在住)さんの画像通信実験支援としての移動でした。
指宿ゴルフクラブの支配人にお願いして運用地を確保、後方は開聞岳(924m)車で乗り入れFMATV設備の設営をした。
画像のように芝生を植栽し手入れの行き届いた場所であった。普段は車の乗り入れは不可の場所、支配人の特別な計らいであった。
さて
JA1AKA荒川 賢さんは、
アマチュア無線ATV(画像通信)では日本第一人者で、その普及や啓蒙に尽力され,自らがATVで、深田久弥の日本百名山1/2の山岳から画像通信をされていらっしゃいました。(百名山山頂から下界のアマチュア無線ATV運用局と画像交信するのが目的。)
平成14年のハムフェア自作品コンテストでは最優秀賞(総務大臣賞)を受賞されるとともに、「ひとりぽっちのテレビ局1/2日本百名山」と50座を制覇されていた。日本唯一の山岳ATV運用局でした。
日本百名山からの画像通信で残っていたのが、西日本最高峰の「愛媛県石鎚山1982m」・第2高峰地「徳島県・剣山1955m」・第3高峰地「鹿児島県・宮之浦岳1935m」・「鳥取県・大 山1729m」が残っていた。
上記の山々を4年計画で松山地区SHF研究会が支援した。
難関は、鹿児島県・宮之浦岳1935mであった。
鹿児島県の宮之浦岳は、鹿児島県熊毛郡屋久島町に位置する西日本第3番目の標高を有し、そしてなんと言っても洋上で降雨が多い所である。
画像は
平成14年のハムフェア、東京国際展示場・東京ビッグサイトで開催されたアマチュア無線
自作品コンテストで最優秀賞(総務大臣賞)を受賞された、5700MHz(5,7GHz帯)のアンテナ。
私が東京に行った時、練馬区のJA1AKA荒川さん宅に伺い、総務大臣賞を受賞した作品を撮らせて頂きました。
10GHz帯アマチュア無線ATV(画像通信)無線機器。
10GHz帯アマチュア無線ATV(画像通信)無線機器。
指宿ゴルフクラブの一角で待機した。
何時でも宮之浦岳からの電波受信出来るよう待機、連絡は1200MHzで行った。
この車で、富士山、日光、北海道とよく走ってくれた。
走行しながらHF帯から2,4GHz帯まで運用できる無線機を積載していた。
これから画像は、JA5MFYさんからの画像提供です。
宮之浦岳移動するのは初めての登山であったので、宮崎県西都市のJA6BQUさんが登山経験者であったのでお先達をお願いした。
平成16年7月15日、宮之浦岳山頂から移動運用するJA1AKAを支援する登頂支援組。
宮之浦岳登山入り口で:左より JA1AKA・JA6BQU・JA5IDH・JA5JSU・JA5MFY、宮之浦岳目指して登山開始。
予定より少し遅れて山頂に着いたと1200MHz帯で連絡があった。
宮之浦岳も天候は良かったし開聞岳も良かった。
鹿児島県熊毛郡屋久島町・宮之浦岳「1935m」山頂の各局運用開始の設備セット準備。
鹿児島県熊毛郡上屋久町・屋久町:宮之浦岳「1935m」山頂の各局、いよいよ開聞岳移動のJR5EEKとFMATV運用開始。その後鹿児島県薩摩郡柴尾山移動:九州各局と交信する。交信信号強度はM5Cのカラー映像が開聞岳移動の私の設備に届いた。
降雨の多い屋久島・宮之浦岳天候に恵まれ風も無く絶好の登山日和&無線運用日和、但し下界では、予定していた時間に下山しないので宿舎の関係者は心配していたそうです!!
平成13年8月12日、西日本最高峰の石鎚山1982m運用の時に、JA1AKA、荒川さんの希望で松山城本丸からATV運用された。
JA1AKA、荒川さん、日本百名山、石鎚山移動で来松、松山地区SHF研究会メンバー
が道後温泉で歓迎会開催した。
平成13年8月12日:愛媛県・石鎚山1982m
平成14年9月29日:徳島県・剣 山1955m
平成15年9月 7日:鳥取県・大 山1729m
平成16年7月15日:鹿児島県・宮之浦岳1935m
JA1AKA、荒川さんを4年計画で上記の山々移動を松山地区SHF研究会メンバーが支援した。