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私が見た富士山・「行った・見た・撮った」その3 田貫湖から

2021年12月05日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

平成19年5月16日、静岡県静岡市葵区羽鳥にある「曹洞宗の寺院・洞慶院」の境内に、秋山好古揮毫の石碑「愛馬哀悼碑」があり、その取材に行き、その帰りに富士山を一周したときの画像です。

天候は曇天で、石碑取材中雨は降ってなかったが、夕方より小雨が降り出した。
山中湖畔で一泊し、翌日青木ヶ原樹海・精進湖・朝霧高原・白糸の滝と移動するも雨の中で富士山は雨雲を被り姿は見えずじまいでした。

次の日の朝、雨が上がり富士山は姿を表しました。

その時の画像です。

午前4時52分、長距離運転で疲れているのに何故か朝早く目覚めた。

何気なくカーテンを開けるとなんと雲一つない富士山が見える・・鳥肌が立った。

カメラを取り出し、シャッターを切った。

午前5時20分富士山の中腹に朝日が出てきた。

場所は、静岡県富士宮市にある田貫湖畔、休暇村・富士から撮影した。

山頂にダイヤモンド富士と逆さ富士となって湖面に映し出される観測時季は4月20~23日の数日と、8月20日前後の数日だそうです。

画像は、5月18日撮影です。

ダイヤモンド富士が逆さ富士となって湖面に映し出される富士山を一度撮ってみたい。

静岡県富士宮市にある田貫湖は、ダイヤモンド富士の聖地とも呼ばれる場所である。

午前6時15分朝日は上に登り逆光の富士山となった。

午前8時48分少し霞がかかってきた。

富士宮市にある田貫湖は、ダイヤモンド富士の聖地とも呼ばれる場所で、多くの人達が撮影出来るよう階段状のデッキが整備されていた。

前日はこのような状態で富士山は雨雲の中であったが、翌日は姿を見せてくれました。

富士山を望む絶好のロケーションが魅力の宿、田貫湖湖畔にある「休暇村・富士」です。

宿泊した「休暇村・富士」のベランダに鳥が飛んできて「おはよう、富士山を撮影できよかったね!!」と挨拶に来てくれました。

午前10時25分、東名高速道路富士ICで、下り名古屋方面に入り長い帰路に付いた。

静岡県訪問の本当の目的は、秋山好古揮毫石碑取材の旅であった。

石碑は、静岡市葵区鳥羽にある洞慶院の参道に建立されていまして、揮毫は、二人が行っており、一人は秋山好古で、もう一人は豊邉新作です。

篆 書「忠魂」を好古が揮毫し、題書「愛馬追悼碑」を新作が揮毫しています。

建立者は、陸軍騎兵大尉従六位勲五等功五級、三浦金蔵、静岡市の出身で実家は薬局を営み金蔵自身も自宅で馬を飼い可愛がったそうです。

篆 書「忠魂」を好古が揮毫した。

豊邉新作は、最後の「サムライ」と呼ばれた長岡藩筆頭家老「河井継之助」の甥であり、秋山好古が最も信頼をおいていた副官であった。

軍人は、皇国から与えられた機器と自分の健康管理に気を付け、いざ有事に備えて日頃の訓練をしていれば良かったが、騎兵隊員は、その上に軍馬の飼育と管理が大変な役割があった。軍馬なくて騎兵隊員は陸に上がったカッパでありました。

よって騎兵隊員は大変馬を可愛がったと言われています。

秋山好古も自宅で馬を可愛がり飼っていた。

静岡市葵区羽鳥にある「曹洞宗の寺院・洞慶院」の本堂。

洞慶院の記念石碑の取材を終え、富士山一周に入った東富士五湖道路からの富士山。

精進湖も雨の中。

天下の名瀑としてその名を轟かす白糸ノ滝を見学、ここも雨であった。

静岡市には、明石大橋を渡り本州に渡りひたすら走った。静岡県に入ってからは幾ら走っても静岡県で東西に長い地域である。

途中、国宝彦根城を見学。

国宝彦根城のボランティアガイドさんと暫しの間懇談、そして静岡に向かった。

 

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