パチンコ依存症の初期段階から末期までの特徴

2022年5月16日月曜日

ギャンブル依存症について

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パチンコ依存症の初期段階から末期までの特徴


パチンコ依存症の特徴


パチンコ依存症の特徴を経験談からお伝え


私は過去、重度のパチンコ依存症でした。



高校卒業と同時に初めてパチンコを打ち、その後はズルズルと地獄へと堕ちていきました。



もちろん、高校生の頃はパチンコなんて打ったこともなければ興味もありませんでした。



部活に打ち込み、ファッションや音楽に興味を持つ普通の高校生でした。



そんな私がいかにしてパチンコ依存症になったのか?


重度のパチンコ依存症になるまでをご紹介。



パチンコ依存症初期段階



私は高校を卒業した頃、友達に連れられて初めてパチンコ屋へ入りました。



当時は現金機のパチンコも多くあり、恐る恐る100円玉を入れてパチンコを打ち始めました。



400円を入れた頃、派手なアクションがあったかと思いきや、玉がジャラジャラと出てきたのです。



人生初の大当たり。


しかも確変でした。


100円玉4枚が、あっという間に2万円近くまでになりました。



これが地獄の入口です。



この日を境に、パチンコに対する熱が上がっていきます。



つぎ込むお金は大金ではありませんでしたが、100円玉から500円玉へと昇格しました。



行く頻度は、日に日に増していきました。



しかし、ビギナーズラックが続いていたせいもあり、パチンコは楽して儲かるものだと完全に信じ込んでいました。




もちろん、その頃はギャンブル依存症なんて言葉も知りません。


金銭感覚を狂わす大勝ち


大学生になり、一人暮らしを始め、最初の1,2ヶ月はパチンコはせず、節約をしながら生活をしていました。


しかし、ある日ふらっと近所のパチンコ屋に入り、2000円だけパチンコを打ちました。



その日が私の金銭感覚を狂わした日だと今でも確信しています。



昼頃にパチンコを打ち始め、2000円を使い切ろうとした瞬間、確変の大当たり。


怒涛の連チャンが始まったのです。



結局、その日は閉店間近まで打ち続け、約12万の勝ちでした。



当時の私にとっては12万は大金です。



それがたったの一日遊んだだけで手に入ったのです。



その日の私は有頂天になり、部屋に帰ってからも札を何度も数えました。



何に使おうか、ウキウキ気分が止まりませんでした。


パチンコ依存症の初期段階の特徴


パチンコ依存症の初期段階では自分が依存症ということにも気づいていません。


そして、パチンコをしていることを周りに言いふらすことも平気です。


もし、あなたの周りにパチンコやスロットの話をよくしてくる人がいれば依存症の初期段階かもしれません。



パチンコ依存症中期



12万勝った日から金銭感覚は大きくずれ始めました。


今まで多くても3000円位の軍資金でしたが、その日以降は万単位で使うようになりました。



当たりさえ出れば取り返せる。



変な自信さえありました。




3万から5万ほど負ける日もありましたが、さほど気にしませんでした。


それ以上に勝つこともちょくちょくあったからです。



パチンコはなんて楽しいんだろうと勘違いをしていた自分が情けないです。



当時はパチンコをすることは全く悪いことだとは思っていませんでした。



新しい友達ができたら、パチンコするの?と聞いていたくらいです。



最近大勝ちしたことを自慢することさえありました。



今思えば、周りの人からすれば私はすでにパチンコ依存症だと思われていたかもしれません。


パチンコ依存症中期の特徴


パチンコ依存症中期の段階では、常に金欠状態です。



金遣いが荒く、やけに羽振りがよかったり、金欠状態の差が激しいのも特徴です。


まだ、この段階でも依存症という自覚はありません。



パチコン依存症後期



大学時代、私は授業はサボりまくり、朝からパチンコ屋へ入り浸るようになりました。



大学の友達もパチンコ好きの友達ばかりで、真面目に勉強やサークルに打ち込んでる友達はほとんどいませんでした。



大勝さて貯まったお金も、底を尽き始めるとバイトを始めます。



バイト代はもちろんパチンコに消えていきます。



働いても働いても、あっという間にパチンコのせいで金欠状態になりました。



学費、家賃、光熱費、その他の仕送りを含め多額の援助をしてもらった両親には感謝の気持ちすら当時は持っていなかったと思います。



本当にクズでした。



バイトしていれば教科書代なんて余裕で払えるのに、パチンコで金欠になっているので、親に電話して仕送りしてもらったこともあります。



しかも、勉強なんてせずにパチンコをしているだけなので、その教科書はほとんど私にとっては無駄なものでした。



タイムマシンがあれば当時の自分を半殺しにしたいくらいです。



そのくらいになめきった生き方をしていました。



金欠状態が長くなると昼間のバイト代ではどうしても足りなくなり、夜勤のバイトに乗り換えました。



夜勤のバイトでは月に10万〜13万ほど稼いでいました。


学生にしてはまぁまぁ稼ぎは良いほうだと思います。


しかし、毎月金欠になることが多く、殆どがパチンコ代に消えていたのです。



また、どうしてもお金が足りないときは友達に数千円借りたこともありました。  



約束の日にしっかり返済はしましたが、おそらくお金の貸し借りをしていた当時の友達と今は付き合いはありません。


もちろん、友達が離れていったのは私が原因だと言うことは目に見えてわかります。



パチンコ依存症後期の特徴



パチンコ依存症後期の段階では、常に金欠状態です。


金遣いが荒く、たまに友達や知人に金を貸してもらおうとするのは要注意です。



パチコン依存症末期



大学を卒業する頃は夜勤のバイトをしていたにも関わらず、常に金欠で食費や光熱費すら払うことが困難な状態でした。



そんなとき、パチンコ仲間が消費者金融からお金を借りたという話を聞き、私も早速借り入れを申し込みました。


ドキドキしながら無人契約機で申し込み。



あっという間に審査は通り、カードが作れました。



最初の限度額はたしか10万円。


自分のお金ではないのに、なんとなくお金が手に入ったことで気が大きくなり、それもあっという間にパチンコへ消えていきました。



限度額は知らない間に50万円まで上がりました。



社会人になってからも借金を繰り返し、利用限度額いっぱいまで借り入れると、また別の消費者金融へと足を運ぶのです。



20代後半には消費者金融5社、信販系のカード2社、キャッシングなしのクレジットカード1社、合計すると約400万円の借金まで膨れ上がりました。 



この頃になると、流石に自分でもヤバいと感じており、周りの人に自分がギャンブルをしていることは一切話しませんでした。



健全な男であることを装っていました。



給与のほとんどが毎月の借金返済と携帯代と光熱費などで消えます。

生活は常にいっぱいいっぱいでした。



友達や恋人と遊ぶ約束をしても、お金がないので、適当な嘘をつき、ドタキャンしたりもしていました。



もちろん、誰にも借金で生活が苦しいなんて口が裂けても言えませんでした。



そんな苦しい生活の中でも、スコシのお金さえあれば、パチンコ屋へ直行するのです。



負けるたびに絶対パチンコなんてしないと心に誓うのですが、お金が入るとそんなこと頭の中から消えていきました。



また、借金返済していくことよりも、パチンコを打つお金を確保することに意識が向いています。


もう勝つ見込みがないときにも、お金をパチンコ台につぎ込み、自分では歯止めが効かない状態になっています。


パチンコ依存症の末期の特徴


パチンコ依存症の末期は人にバレないようにギャンブルをするようになるので、傍から見たらわからないかもしれません。



しかし、いつもお金を持っていなかったり、服がタバコ臭さかったり、服装がいつも同じで清潔感がなかったり、どこかしらにサインがあるかもしれません。



※現在はパチンコ屋の店内で紙タバコを吸えるところはないと思うのでたばこの臭いは染みつかないかもせれません。



これが、私の重度のパチンコ依存症になるまでの経緯です。



ハマればハマるほどギャンブルをしていることを人に言わなくなるので、家族や恋人は気づきにくいかもしれません。


これがギャンブル依存症を救いにくい原因かもしれません。



まずは、依存症の本人が解決するためになにかアクションを起こさなければ解決には至りません。


さぁ、克服するための一歩を踏み出しましょう!

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パチンコやパチスロで約400万円の借金を背負い、重度のギャンブル依存症だった著者。独自の視点で克服方法をアドバイスをしているブログです。自らの経験したギャンブル依存症の末路も知ることができます。体験を交えながらわかりやすくギャンブルをやめるヒントをお伝えします。ギャンブルがやめられないとお悩みの方へ。今すぐギャンブル依存症を解決していきましょう。

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