個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

偏ってしまっては危険②

2020-08-05 09:43:42 | 教室から
おはようございます。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

前回の続きになります。

だれでもそうだと思いますが、自分の得意なもので勝負できる場所は居心地がいいけれども、そうじゃない場所にはそこにいるだけで苦痛に感じることがあるでしょう。

子どもたちにとって「勉強ができない」というのは。学校生活を送る上で大問題なんです。

ですから、できるだけ子どもたちが学校で快適に過ごせるように、学校の勉強で苦労しないように、早い段階から勉強を教える家庭が増えていますよね。もちろん理由はそれだけではなく、学力が高いと偏差値の高い大学に進学でき、就職が有利になるという将来を見据えての理由も大きいでしょう。その気持ちはとてもよくわかりますし、決して間違ったことではないと思います。ただ、その加減は大事だと思います。

あくまで勉強することや、高校・大学に進学することを肯定する立場として、もちろん大切だと思っているから学習塾を開いているのですが、あまりに勉強・学力に偏ったやり方はリスクが大きいと思います。勉強なんてさせずに、欲しがるものはゲームでもスマホでも全部与えて、自由にやりたいことをさせてあげればいいなんて話ではありません。小学校のうちに宿題をきちんとさせてから遊ばせることやテストに全力で取り組むこともこれからの長い学生生活を考えれば、とても大切なことだと思います。しっかりと基礎学力を身につけさせてあげることは社会に出てからも必要となりますのえ、さらに重要になってきます。ただやりすぎには気をつけた方がいいということです。

学校という場所は、それでなくても学力でランク付けされがちです。勉強ができる子は一目置かれ、時には尊敬の対象になることさえあります。逆に勉強が得意でない子は、勉強が苦手というだけで人間としての能力もないような評価をされてしまうこともあります。スポーツが得意な子などわかりやすい特技がある子はいいのですが、そうでない子は「自分はダメなやつなんだ」という劣等感に覆われてしまいます。

ごくごく少数ですが、勉強できない子のことを「アホ」という言葉を使って見下す人がいます。私はこれが大嫌いです。といっても、中学時代の私は恥ずかしながらこの言葉を使っていました。自分はテストの点数も高く優れた人間なんだ。周りのやつらとは違うんだ!というかなり偏った価値観・プライドを持っていました。まあそこまで思っている人なんていないでしょうが、そういった傾向は学生時代には少なからずあるのではないでしょうか。

ですがこの偏った価値観が大きく邪魔になることもあります。勉強なんて、上には上がいくらでもいます。中学校時代に学年で1位だからといって、高校に入ると同じような学力や自分以上の人間はたくさんいます。かなり優秀で高校で上位だったとしても、大学になるとさらに上がいます。学力=人間力・人生における成功という考え方の下では、自分よりも学力が高い人間がたくさんいるという現実を受け入れることができなかったり、大学受験に失敗しようもんなら大きな挫折として心が折れてしまうこともあります。

また勉強が不得意な子も、こういう価値観の下では「自分はアホだからこの高校・大学にしか行けなかった」「自分はアホだから今の仕事しか就けなかった」と考えてしまいます。いや、そうじゃないんだよ。自分の学力や能力をちょうど伸ばせて、自分に合った学校が今の高校なんだよ。将来したいことをするために今の大学に入ったんだろ。自分がしたい仕事を選んだんじゃなかったのか。

確かに学力・学歴がなければ就けない職業は一定数あります。学歴は選択の幅が広がるのは確かです。大学卒業後、3年間ひきこもった私でも、こうして塾を開くことができたのは、ある程度の学歴があったからでしょう。ですから、勉強ができることや、偏差値の高い高校や大学に進学するというのは、人生において大きな武器を手に入れるということです。ですが、その武器を持っていなくても自分の望む人生を歩んでいる人なんていくらでもいるし、その武器を手に入れようと必死になって努力したけれども、願いが叶わずドロップアウトした人間もたくさんいます。過剰な競争の中には、大きな敗北感を味わった人間がたくさんいるのです。この敗北感をバネにかえて、プラスに転じることができればいいのですが、多くはこの敗北感=劣等感を持ち続けながら生きていくのです。これはあまりにも悲しいことです。

本来学びというものは、楽しいものであり、人生を豊かにしてくれるものです。それがいつの間にか、子どもをランク付けするものになったり、子どもを追い込むものになったりします。他の誰かと比べるのではなく、自分自身の将来のために学ぶのです。学んでいくことによって自分が何が得意で何が不得意かがわかり、自分には何が向いているのか、そしてまた自分のしたいことが何なのかが見つかるようになっていくのです。ただし、それは子どもが能動的に学ぼうとしなければみつかりません。「やらされている」という義務感だけでは勉強は「ただ自分を苦しませるもの」であり決して「自分の将来を手助けしてくれるもの」という考えにはなりません。子どもたちの意識をそういう方向へ導いてあげることこそが教育なんだと思います。きっと子どもたちは自分の目標に向かって、しっかりと自分の足で歩いていけることができるはずですから。前向きな気持ちで勉強に取り組むことができるような塾であり、私と接することで子どもたちが自分の将来を明るいものと感じ取ってもらえるような塾講師でありたいと思います。

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