もたない暮らし 離婚とか色々のこと その① | 和み日和

和み日和

お茶屋女将のひとりごと

我が家では昨年末に決行した【第一回断捨離祭り】に引き続き、

【令和2年断捨離祭り】が開催されております。
ゴミをこんなにも捨ててごめんなさいと思うほど、捨てています。

 

ずっとそんな人かと思われそうなので、ちょっとだけ過去のことを書きます。

 

私は2013年に自身が乳がんで闘病中に、

【自分の荷物は段ボール2箱に納まる量にしよう】

と決めて、お洋服から何から何までをゴッソリ捨てました。

自分の始末の最小限・最低限。

ただでさえ自分ひとりが生きるも死ぬのも迷惑をかけるのに、

とにもかくにも最小限で・・・をひたすら実行していました。

 

不思議なもので、手放していくことによって、大切なものが見えてきて、

こだわるものや、目指したかった理想さえも不要になっていって、

意固地までに求めてきたこと、思い描くぬくもりとか、

なんかそういう形のないものへの執着までもが消え去ったことを思い出します。

 

私は当時、旦那様もいて、子供もいて、とても平凡ながらも幸せに暮らしているつもりでした。

多少のお金の苦労があろうと私は元々そういうのは慣れっこといいますか(苦笑)

そういうことでつぶれるような家庭を築いているつもりもなく、

言い換えると「なんだって幸せ」だったのです。

お姑さんには認められていないな(笑)と感じていましたが、私は好きでした。

母親らしい母親というものを経験したことがなかったので、

「しんどい時にお母さんがご飯を作ってくれる」というのを経験させてくれた唯一の存在でしたから、

私はお義母さんが困っていたら絶対に助ける!と思っていたくらいです。認められたいという気持ちもいっぱいでした。

お義姉さんもお義妹ちゃんも優しくて大好きでした。

 

「私が病気にさえならなければ」

というのがキーワードで人生がガタガタと崩れた気がします。

それは私だけではなく、私の周囲の人にとってのキーワードだったのではないでしょうか。

精神的に正常でいられるはずもなく、私は私で常に頑張っていながらもガタガタだったと思います。

とっても支えが必要でした。

「支えてほしい」という気持ちと、

「ガンという現実を私と同じくらい受け入れてほしい」という気持ちが強かったのでしょう。

 

私にとってとある事件が起きて、

その時に旦那さんは私が支えとして欲しかったことと違う言葉を発しました。

正常な精神状態だったらば、きっとサラっと流せたかもしれませんが、

あれもこれもそれもどれも・・・・と積み重なってからのソレは、もう水たまりに落ちたティッシュペーパーのごとく、

スっと溶けて消えてしまいました。

 

最後に私は自分の旦那さまを自分のために試しました。

私がもしいなくなった時の家計の流れをまとめたものを渡して出たんですね。

そこには少し無理を感じるように数字を落としてあって、でも出来なくもなさそうな、

ちょうどそんなギリギリリストだったかと思います。

それを見て、(こんなことを自分でして生きていくことより、子供たちと一緒がいい!)と感じてくれないかなーとか、

(きっと、いや、絶対に子供と私を必要として迎えにきてくれる)

なんてことを期待しての賭けでした。(めんどくさい女ですね)

 

一度だけ「戻ってこないのか」と聞かれました。

私の小さなこだわりは、戻るかどうかを決めるのが私であるということが今回ばかりは嫌だったのです。

「ガンでさえなければ」という判断材料を飛び越えて、必要と思ってもらえて、そして迎えにきてもらいたかった。以上でした。


子供達も「絶対にパパは迎えにくるよ」と言っていて、「そうかなぁー。そうだといいなぁー」って私。

私の父たちもそう思っていました。

 

結果、よく伝わっていなかったのか、迎えに来たい嫁にはなれなかったのか(苦笑)チャンチャン♪で終わってしまいましたw

 

そんな感じで終わってよかったのかと聞かれると、よかったと思っています。

 

離婚して楽になったかと聞かれたら、離婚したほうがしんどかったです。

子供たちの精神状態をも背負って、

ガンの治療をしながら、仕事をしながら。

一瞬でも、自分の決断が間違ったのではなんて思ってしまえば、発狂しそうになるので、

それを思うことも許されません。

そこに唯一の救いとして、

私がいることで迷惑をかけていると思わなくてもいい現実(旦那さんやその家族を困らせていない)がひとつだけあることのみであって、

私の現実は前以上に大変にはなっていました。

 

そして、夫と離婚するきっかけとなったとある事件で耳にしたワードがあって

それが何年間も私の足かせとなって、鬱になり、

幾度と生死をさまよう危うさを放ってしまいました。

 

表現アートセラピーを受けて、私は立ち直って、今に至ります★

 

それでも良かったと思うほど、

「ガンになったせいで」

という呪縛からは解き放たれたことが大きかったのです。

 

ガンになったせいで迷惑をかける人を解放できることは

それでも生きていかねばならない私にとってはとっても重要なことでした。

 

元旦那さまは、今は幸せに暮らしていると聞き、その時は一瞬悲しかったですが、

でも尚更、よかったと思いました。

お義母さんも喜んでいらっしゃるでしょうし、良かったと思います。

幸せにする、幸せになると願って結婚した人なので、

悲しいかなそれが自分ではないというだけで(自虐)w

胸も2つちゃんとある人でよかったじゃないかと思います(笑えない自虐)w

なんだっていいんですよ。幸せならそれで。約束を果たせた気がします。

 

 

だけど、そうなると一番かわいそうなのが子供です。

何を、どこをきっても、そこだけなのです。

なので私は命がけで子供のことを守り

子供が一人前の大人になるまでは何があっても子供のために生きるのです。

 

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と、ここまでを赤裸々に恥さらしのごとく書き記して、

ずっと私という人間の中心にある、とある考え方が見えてきます。


つづきます。