今回は社会派コメディ「群衆」(1941年)をご紹介します。
監督は「或る夜の出来事」「素晴らしき哉、人生」の名匠フランク・キャプラ。
新聞社を買収した政財界の大物ノートンの方針でリストラが始まり、クビを言い渡された女性記者のアン・ミッチェル(バーバラ・スタンウィック)。
アンは辞める腹いせに担当するコラムにでっち上げ記事を書く。
その記事とは、腐敗した社会に怒る男ジョン・ドゥ(※匿名を指す言葉)が抵抗のためクリスマスに市庁舎から身を投げる、という内容だった。
ところが読者からの「ジョン・ドゥを救え!」と反響が予想外に大きく、ノートンは金になるからアンにもっと記事を書くよう言う。
アンは交渉して破格の待遇を受け、でっち上げ記事を書く新契約をゲットする。
翌日、新聞社に「自分がジョン・ドゥだ」と自称する男達が押し寄せ、アンは元野球選手でホームレスのウィーロビー(ゲイリー・クーパー) を選び、「ジョン・ドゥ」として彼と契約する。
アンが書いた台本をラジオで読んだジョン・ドゥは「隣人を愛せ」と唱える。
すると益々熱狂的な支持を受け、群衆によるジョン・ドゥ運動は社会現象となってゆく。
さらには全米各地にジョン・ドゥ・クラブが結成されていった。
ノートンはジョン・ドゥ・クラブを組織票にして政党を立ち上げようと企む。
政治家達も利権狙いでノートンにすり寄る。
自分が利用されているだけとは気づかないピュアなジョン・ドゥだったが、ついにその真実を知る。…
"Barbara Stanwyck" Photo by kate gabrielle
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面白かったですね。
ホームレス仲間は「気をつけろよ。金に亡者が群がってくるぞ」とウィーロビーに忠告しますが、まさにそうなっちゃうんです。
マスメディアによる群衆心理のコントロール。
インフルエンサーによる扇動。
著名な人気者にあやかり、組織票すり寄る政治家達。
1941年のアメリカ映画ですが、21世紀の現代(日本を含む)を予言したかのような内容で驚きます。
そういう社会に鋭い視線を送りながらも「人の良心」を信じるキャプラらしい作品です。
「善きサマリア人」のような元からの善人はもちろん、特に当時のアメリカは改心した人が好きですね。
野心に駆られたアンが良心を思い出すきっかけは、赤ひげ先生みたいだった亡き父の日記。
ウィーロビーが改心したのはジョン・ドゥを慕う善良な人達との出会い。
ウィーロビーの恋心を利用してきたアンの究極の改心はラブロマンスの定番かな。
群衆を操作する常套手段は、憎しみや怒りというネガティブな感情に訴えて煽ることです。
でも「群衆」の肝は、不平不満を煽るんじゃなくて「隣人に優しくしよう」というシンプルでポジティブなメッセージだった、ということなんです。
そういうわけで、「群衆」はフランク・キャプラらしい風刺や皮肉が効いたラブコメとなっていますね。