ある主婦の3日間を描くシャンタル・アケルマン監督・脚本の代表作「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、 コメルス河畔通り23番地」(1975年)をご紹介します。
"JEANNE DIELMAN, 23 QUAI DU COMMERCE, 1080 BRUXELLES (1975)|Chantal Akerman" Photo by tintincai
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ジャンヌ・ディエルマン(デルフィーヌ・セリッグ)は、思春期の息子とブリュッセルのアパートで暮らしているシングルマザー。
ジャンヌは毎日、朝起きると息子の靴を磨き、朝食を食べさせる。
息子が学校に行った後、家事の合間にコーヒーをドリップして飲み、隣人の赤子を預かる。
その後、街に出かけて買い物をし、いつものカフェに寄ってから帰宅。
夕食の準備をし、そして寝室で売春をして風呂に入る。
息子が学校から帰宅すると夕食をして、一緒に散歩する。…
ジャンヌの1日のルーティン。売春以外はごくごく平凡な主婦の日常に見えます。
すぐに彼女が自分のルーティンを大切にしている女性だとわかってきます。
「今夜は夕食が遅くなったから散歩をやめよう」と息子に言われても「駄目よ」と返すジャンヌ。
しかし、ジャンヌのルーティンが徐々に崩れてゆくのです。
ジャガイモがうまく調理できずやり直した、カフェでいつもの席に他の客が座っているし、馴染みの店員がいなかった。…といった具合に。
家事「労働」というくらいですから、家事はやらなきゃいけないから仕方なくやるわけです。
でも時にどうにもならない気持ちになる。
労働との違いは報酬にならないこと。感謝も中々されない。
せめて自分のやり方がつつがなく進行して、一日の家事が無事終えられれば気分はまだよい。
最悪なのはルーティンが崩れた時。
家事にまつわるイラつきから、時にブチ切れたくもなり…。
この映画、淡々と描きつつもショッキングでした。
かなりアバンギャルドな作風ですね。
長いインスタレーション・アートを観ているような感覚でした。
部屋にカメラを固定して据えて、家事をカットせずに長回しで撮影。
ストーリーに直接関係無かったり、あるいは軽視されているためか、普通はカットされるような家事の場面を延々と観せます。
シャンタル・アケルマン監督曰く「フェミニズムの映画」たる所以とのこと。
長回しを多用ですから200分という長尺になっています。
(当然)観ていて退屈感が出てくるのですが、ジャンヌの日常、家事労働の退屈さときつさが伝わってきますね。
これも監督の狙いの1つのように思います。