皆、防空壕へ避難することも忘れ、ただ呆然として敵機を見上げているのみであった。
けれども、数分後には機銃の一発も発射することなく東の空へ編隊を組んで消えていってしまったのだ。
爆弾の一つも落とすことなく敵の飛行機が去って行ってしまった後で、恐怖で凍り付いた気持ちが溶けるかのように皆で無事を確認し合って喜んだのであった。
しかし、その日の夕方、武ちゃんが担架に乗せられて運ばれてきた。武ちゃんの乗っていた通学列車が飛行機の機銃掃射を浴びたのであった。
昼間に爆音だけを轟かせて消えていった飛行機は、市街を火の海にし、武ちゃんの乗っている汽車に最後の一撃を加えての帰り道であったのである。武ちゃんは、両腕を失った。
それから1ヶ月ほどして終戦になった。一六歳の武ちゃんは、こっそり病院を抜け出し湖に身を投げた。
大人たちが、無意味な戦争ゲームを止めないせいで、子供達は食べるものもなく、手や足を失う子もいて、飛んでくる爆弾で死んでしまう子もいる。どうすることもできない大人に対する憤りと憎しみと憎悪と憤慨と憤怒と怨念と苛立ちと腹立たしさと悶咽が武ちゃんの中で行き場を失ってマグマのように溶け合って爆発したのだと思った。
昭和十三年の秋、私は武漢攻略戦にて通信中隊の初年兵として小型無線機の通信手となり、中隊との通信手段に当たっていた。
私は部隊の移動が停止している間をみて、近くの小川に水を汲みに行った。
上官二人分の水筒もあったので、水くみの邪魔になるので刀は置いていった。