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2021年5月6日木曜日

点と線3(数字の0について)



では数字の0のお話です。


0は最も特別な点であり、

科学と同じ距離に哲学的な意味も漂う

不思議な数字です。



まずこの「0という数字」の意味から

探りましょう。



「0はあるのか、ないのか」と

よく議論されます。

けれどもこの0を置くことによって

数列全体が始まる、

全てのものの基準点が0です。



0を境に正反対の異なる世界が表記されます。

正にあらゆる数字の中庸にあり、

世界のど真ん中に位置する点が0です。



「数列が存在する」こと自体も0に由来し、

0は全ての点の支配者というべき

圧倒的な概念を持ちます。


全ての始まりが0なのです。


ではこの基準点0は、一体

どこに定めることが正しいのでしょうか。



果たして、絶対的な基準点などが

本当にありうるのでしょうか。


つまり「0を置くこと」自体に、

その基準を決める人間の意志が反映されるのです。



どうして0は誰もが自由に

勝手に何処ででも使うことが出来るのでしょうか?



謎だらけですね。


実際はわたしの世界は

数字に支配されているのではありません。


これは世界を構成する要素の中に

数列を当てはめることの出来る「何か」が

ある事を示しています。


数字ではなく、この「何か」を理解することが

本当の物理学の仕事です。


数学が先行する以上

物理学の先はまだ暗いです。






ただこの「0に付けられた意味」、

つまり「0はあるのか、ないのか」議論には

けっこう簡単に結論が出ます。


0の概念は「ないものがある」で正解です。


「ない」と「ある」はどちらも正解ではありません。

あるのにないもの、あるいは、ないのにあるものという

私達が普段はほとんど意識しない価値観が必要になります。



0は私たちの世界の中に巧妙に隠れています。


例えば時間における「今という瞬間」は0です。

「今」はどこにも存在出来ない長さです。

ただこの「長さを持たない時間」はいつもここに確かにあります。



例えば「命」だって0の仲間です。

「命」って一体なんでしょうか?

確かにあるのに何処にもないもの、

何処にもないのにここに確かにあるもの。


「あなた」や「わたし」という自我だって

やっぱり0です。

あなたは何処にいますか?

人間の頭の中ですか、

胸の奥にいるのが本当のあなたですか?

この世界の何処にも見つからないのに、

あなたはここに確実に存在します。



あるのにないもの、

ないのにあるもの「0」は、

私達が意識しない現実世界の中に

間違いなく存在する概念なのです。




それにしても0は、くせものです。


0の概念は「あれば便利だから」という理由で

人間が勝手に創り出しました。

そして0は、

数学的には大変役に立ちます。


けれどもその圧倒的な支配力は、

0を使用した途端に世界を半分に折り曲げて、

正負の概念を強制的に作り上げてしまうほど強烈です。


数字の0は道具ですよ?


昔の頭の良いインドの方が考え出しただけの発明品です。


しかし0を置くだけで

既にその世界観だけで、

数列世界全体に先に同じ結論を与えてしまうのです。


中庸は0であり、

世界は正と負に分けられてそれぞれの量は等しく

全てを合わせると0になると。


これでは宇宙物理学なんて必要ありませんよね。


数列を使う以上、同じ結論が生まれることは

最初から分かりきっています。


物理学者達が探っているのは現実世界ではなく

数列世界です。

早く気付いて欲しいですね。




では0は、本当は
どこにあるべきものだったのでしょうか?

 

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