エログロナンセンス系なのだが、基調にあるのは、実は仏教思想であるように思われる。因果律である。あらゆる物事は、原因をもった結果である。仏教においてそれは、”日頃の行い”のような善悪にも適用される。悪い行いが悪い結果をもたらす。冒頭において、突拍子もない言葉が、淡白な表現で語られる。その後、この世の不幸を極めたような物語が展開していく。
しかし実は、そこにはその原因がある。悪と悪が苦しめあって互いに滅びあっていく。その無常さを、その締めくくりにおいて「空」の思想で表現している。
あらゆる領域を横断するかのようにちりばめられた無数の設定は、しかし最終的にはすべて「空」でしかない。その諸行無常な諦念の悟りが、婆雨まう先生のこの作品における、どこかあっさりとしたそっけない文体を選ばせしめたのかもしれない。
乾いた笑いから始まるこの物語は、誰もが動揺せざるを得ないようなドス黒い絶望的な不幸の泥沼をへて、そしてその顛末を見守っていく。その”しかたのなさ”はまさに因果律としかいいようがないものだ。そういえば婆雨まう先生は、ブログなどでよく”感謝の心”について語っている。


とにもかくにもこの作品は、グロ部分のインパクトがかなり強い。今まで見たことがない怖さがある。それは何かと言うと、”あっけらかんとした暴力”である。非常にピュアで無垢な感じのする笑える台詞の間で、あっさりとグロい暴力がさくっと語られる。読むとかなり動揺するのは間違いない。悪意の読み取れない暴力が、リアルに描き出されていると思う。ギャグのようでもあるが、しかし、どこか極めてリアルな、現代の暴力を一番忠実に描けるのが婆雨まう先生なのではないか、という気がする。


察するに、婆雨まう先生は、何かの怒りによってこの作品を書かざるを得なかったのだろう。
世の中の理不尽さとデタラメさ、不公正さに対する怒りなのかもしれず、他の何かかもしれない。しかし冒頭において登場する様々な舞台設定は、それほど掘り下げられることなく、その物語は圧倒的な暴力へと突き進んでいく。
そしてそれに対する婆雨まう先生の筆致は、どこか愉快さと笑いを誘うようなあっさりとした軽やかな筆跡だ。戦争がおこり、すべてが破壊され、未来へと目を向ける結末には、どこかこの世のすべてが虚しく破壊される様を描かざるを得ない、婆雨まう先生の静かな怒りが見え隠れするような気がした。
どこかチグハグな舞台設定をわざと作り上げて、その世界を、自らの怒りで破壊することによって、デタラメな社会、因果応報的でない現実を、表現によって攻撃して見せてくれたのではないだろうか。