ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

反キリストとは誰のことか?|『私をイシュマエルと呼びなさい』 ジェイソン・モーガン氏

2021年12月10日 | 迫り来る危機
使徒聖ヨハネはこう言う。「小さな子らよ、最後のときである。あなたたちは反キリストが来ると聞いていたが、今や多くの反キリストがあらわれた。…おん父とみ子とをいなむ者、それこそ反キリストである。」(1ヨハネ2:18)
「イエズスを宣言しない霊は、みな、天主から出たものではなく、あなたたちが、来るであろうと聞いている反キリストの霊である。それはもう世にきている。」(1ヨハネ4:3)

フルトン・シーン司教は、共産主義も、キリストを否む反キリストの一つであると見た。すでに1947年、フルトン・シーン司教は時の印を見ていた。彼は、反キリストが、人類への愛を口では言いながら、天主を信じないことを予言している。

つまり、反キリストは、世界中の人々に「兄弟の皆さん」と呼びかけて、兄弟愛の美しい話をしながら、イエズス・キリストを宣言しないだろう。反キリストの宗教は、キリストを宣言せず、キリストの御父をも宣言せず、本当の父のない「兄弟愛」だからだ。

しかし、フルトン・シーン司教は、私たちは反キリストを恐れる必要はないという。
「私たちが心配するのは、教会の不可謬性のことではない、この世が可謬性に倒れることだ。天主が玉座を奪われることではなく、野蛮な蛮行が横行するのを私たちは震えあがる。全実体変化が無くなることではなく、家庭が無くなることを危惧する。秘跡が消え失せることではなく、道徳基準が消え失せることを憂慮する。」

イエズスは婦人たちの方をふりむいておおせられた。「イエルザレムの娘たちよ、私のためになくことはない。むしろあなたたちと、あなたたちの子らのために泣け。」

カトリック教会は、かつて大きな危機を乗り越えてきた。教会は、現代の悪を乗り越え生き残り、この悪の葬儀を歌うだろう。教会には何度も聖金曜日があった。しかしこれは復活の主日の予告にすぎなかった。反キリストは反教会を作るが、勝つことはない。

使徒聖ヨハネがいう意味で、ジェイソン・モーガン教授は「反キリスト」という言葉を使っている。

—ジェイソン・モーガン教授の記事をご紹介します。―



私をイシュマエルと呼びなさい。(「ザ・レムナント」が、フランシスコによる忠実な信者に対する最新の攻撃に答える)
ジェイソン・モーガン(「ザ・レムナント」コラムニスト)
2021年9月22日(水曜日)

Call Me Ishmael (The Remnant Responds to Francis’ Latest Attack on Faithful Catholics)
Written by Jason Morgan | Remnant Columnist
Wednesday, September 22, 2021
https://remnantnewspaper.com/web/index.php/articles/item/5598-call-me-ishmael-the-remnant-responds-to-francis-latest-attack-on-faithful-catholics

バチカン市国のサン・ピエトロ広場を囲む2列の列柱は、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニによって、両手を広げて歓迎するように設計されました。(https://vatican.com/St-Peters-Square-Colonnades/)カトリック教会は普遍的で、救いを求めるすべての人に開かれています。


ニューヨークの自由の女神像の台座には、この気持ちを世俗的に表現したものがあります。「Give me your tired, your poor, your huddled masses yearning to breathe free, the wretched refuse of your teeming shore.」(我に委ねよ、なんじの疲れたる貧しい人々を。自由の空気を吸わんものと、身をすり寄せ、なんじの岸辺に押し寄せる、うちひしがれた群衆を。=岡田光世訳) (https://www.nps.gov/stli/learn/historyculture/colossus.htm)しかし、教会にとっては、「群衆 huddled masses」も、顔の見えないプロレタリアートという「押し寄せる」人の群れもありません。個々の罪人がいて、教会は、迷える羊を探し求め、すべての人を名前で呼び戻すキリストなのです。誰もが教会の門戸を叩き、洗礼と赦しと永遠の命のパンを求めることができるのです。

イエズスは昔も今も教会です。イエズスは、逐謫(ちくたく)の身(楽園を追放された者)なる人々を探し求めておられます。イエズスは、ハンセン病患者や霊に取り憑かれた人々の間を行き来されました。イエズスは、筵(むしろ)の上の不具者を、身をかがめて慰め、「身を寄せる群衆 huddled masses」によって半ば踏み潰されました。イエズスは、サマリア人や徴税人と話をし、売春婦や遊女に自分たちも非常に愛されているため罪が赦されることを思い起こさせられました。イエズスは、死者をよみがえらせられました。イエズスは、盲人を見えるようにされました。イエズスは、心の清い人を誰も拒否なさいませんでした。

イエズスの敵がイエズスを憎んだのは、自分たちが善業をしていると公に断言するという偽善を、イエズスが明らかになさったからです。ユダはお金の入った袋を預かっていました。ユダヤ教最高法院(サンヘドリン)は[聖書の]巻物を誇示しました。白塗りの墓[偽善者]でした。キリストが来られたのは、命をもたらすためであって、この世的な死を承認するためではありませんでした。

イエズスは門戸を閉ざされることはありませんでした。ご復活の後、使徒たちが隠れ家で「身をすり寄せる群衆」だったとき、聖霊が火の舌となって一人一人にご出現になりました。墓の扉が閉じられていたとき、主はご復活の栄光をもって天使をお呼びになり、石板を脇にどけさせられました。エマオへの道で、二人の使徒[弟子]の感覚の門戸が主に対して閉じられたとき、主は彼らの良心に平和と愛を溢れさせ、彼らが主を認識して「燃える」までにされました。井戸の女が自分の過去の門戸を主に対して閉じたとき、主はその門戸をやさしく開いて、この女の人生のすべてが癒やされるようにされました。律法主義者たちが主を律法で囲い込んだとき、主はすべての人が救われるように律法を新たにされました。なぜなら、子どもたちは、この世が要求する出世するための、この世が嘘をつくような嘘のつき方をまだ学んでいないからです。

イエズスは誰かを愛する前に書類をチェックなさることはありませんでした。イエズスは、山上の垂訓に参加するために身分証明書の提示をお求めになることはありませんでした。

今月、バチカンは、ローマの中心にあるこの都市国家を訪れようとする人には、ワクチン・パスポートを要求すると発表しました。(https://www.catholicnewsagency.com/news/249038/vatican-requires-vaccine-pass-for-visitors-employees) まさに[ラ・サレットの]聖母が言われたように、ローマは信仰を失いました。ローマは旧約のやり方に戻り、闇に生きる人々に良い知らせをもたらすために出て行くキリストのみわざよりも、この世への賛辞と、お金や影響力の奴隷であることを好んでいるのです。


この分裂の時代に、世界は逆さまになりました。使徒の骨の上に建てられた聖ペトロ大聖堂は、キリストが抱擁した子どもたちの体を注射するという悪魔的な儀式に参加していない人々には門戸を閉ざしています。教皇は、世界革命の火種となるパンデミックを設計したグローバリストの所属司祭(チャプレン)として身を売っています。

時代精神は、グローバリストが描く地獄のビジョンのための、倒錯、反転、違反、霊的破壊行為、創造された秩序の拒絶です。ローマにいる教皇はこれを祝福し、自分の役務者たちをグローバリストの計画案のために祈るように送り、信者たちに儀式化された幼児虐殺の胎児血清で新たな洗礼を受けるように強要します。教会は東ドイツの官僚機構になってしまいました。ローマの名はもはや歓迎されず、政治的な服従が求められています。

教皇は反キリストです。私の言っていることが本当かどうか、自分で考えてみてください。「サタン、引き下がれ」が、「暗黒の君、何かお役に立てるでしょうか?」になってしまいました。

これは大げさでしょうか? フランシスコは、聖ペトロ大聖堂の柱列を通過するすべての人が、獣のしるしをつけられ、ワクチン証明書類でそれを誇示するように指示しています。フランシスコのワクチン義務化(バイデンの場合は言うまでもありません)と、フランシスコが統括するグローバリストとの関連性は否定できません。

例えば、最近の「ザ・レムナント」のビデオ(https://remnant-tv.com/video/454/world-vaccination-michael-matt-on-the-kennedy-connection)では、編集長マイケル・マットが、ロバート・ケネディ(殺害されたロバート・ケネディ司法長官の息子にして殺害されたジョン・F・ケネディ大統領の甥である)の近刊を紹介しています。ロバート・ケネディは、コロナウイルスのパンデミックが発生するほんの数カ月前に、グローバリストたちがニューヨークに集まり、現在私たちがこの目で見ている、まさに虐殺と支配の乱痴気騒ぎを計画していたことを思い出させてくれます。

新型コロナウイルスは生物兵器であり、「ワクチン」はそれに続いて来るものです。最初のパンデミックで世界を驚かせ、臆病にさせ、次に「ワクチン」で服従を教え込み、支配を強化します。秘跡にあずかりたい人は、人間のいけにえという反秘跡にあずかったことを証明しなければなりません。もし悪魔がローマを支配しているとしたら、これ以上の悪魔的な支配はないでしょう。

それだけではありません。この生物兵器はアンソニー・ファウチという名のサイコパスが資金提供したもので、彼は自分の国の法律を迂回して、自分の『ドクター・モローの島』の仕事を中国に移したのです。ファウチはグローバリストのモローであり、武漢はグローバリストのグアンタナモ収容所です。欧州や北米では決してできないことができます。グローバリストが資金を提供した生物兵器が放たれると、あとは地球規模でのワクチン接種という「計画」に従うだけでした。

その計画の真意は、世界規模の戒厳令を正当化し、最終的にはフランシスコの大切なガイア[大地の女神]を汚す人間を抹殺することにあります。ベルゴリオがパチャママをなだめるために、バチカンが皆さんにワクチンを打てと言い張っていると思わないのであれば、皆さんは気が付いていなかったのです。回勅「ダウダート・シ」(Laudato si)を読んで、フランシスコが人間と植物のどちらの命を救うことを選ぶだろうかを考えてみてください。(https://www.vatican.va/content/francesco/en/encyclicals/documents/papa-francesco_20150524_enciclica-laudato-si.html)


フランシスコと、悪魔的グローバリストとの癒着は、たまたま起こった単なる付随的なものではありません。これは、理解するにはあまりにも恐ろしい真実です。フランシスコは、単にグローバリストと仲良くしようとしているのではなく(それもしていますが)、グレート・リセットの中心的存在なのです。

フランシスコが統括する「新しい教会」が無かったならば、つまり「ノブス・オルド・ミサ Novus Ordo masses」と呼ばれるプロテスタントの異端の儀式に参加する、また、殉教者がそのために死んだ教えをないがしろにする、分かっていない反カトリックの「群衆 huddled masses」が無かったならば、そもそもグレート・リセットはあり得なかったのです。

第二バチカン公会議は最初のグレート・リセットでした。それがなければ、転覆、逆行、違反、霊的破壊行為、創造された秩序の拒絶などの現在行われているモダンバレエ[近代的な動き]のその他の部分は不可能だったでしょう。

「新しい教会」は、グローバリズムの犠牲者ではありません。グローバリズムは「新しい教会」の副産物なのです。最初の革命は[堕天使らの天主への反乱として]天でありました。それで天使たちが地獄を支配するようになったのです。「新しい教会」は、教会に対するミルトンの反対イメージです。フルトン・シーン大司教(https://www.virgosacrata.com/antichrist-signs-of-our-times.html)やクリストファー・フェラーラ、トーマス・ウッズ(https://www.angelicopress.org/the-great-facade-ferrara-and-woods)の洞察を借りれば、それは猿まねであり、「偉大なファサード[見かけ]」です。

グレート・リセットの中心に、「新しい教会」というカルトの信者がいることは明らかです。ナンシー・ペロシ[米下院議長]、ジョー・バイデン[米大統領]、マーク・ミリー[米軍統合参謀本部議長]、テッド・リュー[米下院議員]、ジョン・ロバーツ[米最高裁判所長官]、アンソニー・ファウチ…すべて「新しい教会」の信者です。全員が第二バチカン公会議の毒入りの井戸を飲み干し、熱心に「現代世界憲章」(Lumen Gentium)を書いた者の言いなりになろうとしています。

「新しい教会」の背教者であるジェームズ・コミー[元米連邦捜査局(FBI)長官。議会で当時のトランプ米大統領に不利な証言をした]は、グレート・リセットの目玉である、ドナルド・トランプに対するクーデターの実行を手伝いました。(2016年は、米国の最後の選挙でした。それ以来、一度もないし、今後もないでしょう。独裁的なコントロールは、もう一人の「カトリック信者」であるリチャード・デイリー[元シカゴ市長。在任中、警察の拷問が問題になった]の手法が、全国的に導入されて初めて完成するのです)。

「新しい教会」のプロパガンダ担当者であるスティーブン・コルベア[米コメディアン。ホワイトハウス夕食会でのスピーチが物議を醸した]は、ネオ・カトリックが世界秩序をリセットする間、「群衆 huddled masses」の気をそらすために笑いの要素を提供しました。「新しい教会」は、グローバリストが人類に対して実行している「ツークツワンク」(Zugzwang)[チェスで自ら状況を悪化させる手を指さざるを得ない状態]の最初の動きです。第二バチカン公会議の後、悪魔とその「新しい教会」の助け手が私たちを信じさせようとしていることは、カトリック信者の唯一の選択肢が、諦めるか退却するしかかないと思わせることです。

「ワクチン」が非常に便利なのは、不法な権力者が、羊と山羊、つまり、「新しい教会」とグローバリズムの大嘘を受け入れる者とそうでない者を明確に区別することができるからです。羊は従いますが、山羊は頭を突き合わせてしまうので、処分しなければなりません。

「ワクチン・パスポート」は、この重要な一線を引くための完璧な政治的リトマス試験です。黄色いダヴィドの星は、私たちの携帯電話についている小さな緑色のチェックマークと全く同じ機能を果たしました。現代の「踏み絵」は、フランシスコが皆さんに勧めているワクチンの予約です。「愛徳の行動」として、です。(フルトン・シーン大司教が反キリストについて警告したことを思い出してください。「反キリストは愛のための愛を増やし、人のための愛を減らすでしょう。宗教を破壊するために宗教を引き合いに出すでしょう。彼は天主を信じないでしょう」。(https://www.ncregister.com/blog/fulton-sheen-s-clear-warning-about-the-anti-christ))


皆さんは自分の体と政府の仕事を守るために、自分の良心を殺してもいいと思っていますか? わかりました、それならここにグリーン・パスポートと青いチェックマークがあります―皆さんは愛から行動したに違いありません! 皆さんは、リセットすることを望んでいないのですか? 皆さんは、新世界秩序を受け入れたり、現代のやり方に「現代化(アップデート)」したりするためには、硬すぎるのですね? それならば、ここに黄色い星[ナチス時代にユダヤ人たちが付けることが義務付けた]があり、息苦しいマスクがあります。皆さんが分裂させる者であるというしるしとして、これを身につけてください。水晶の夜[1938年11月9日に起きたユダヤ人商店などを破壊するナチスの活動]、または1月6日[2021年の米連邦議会議事堂"襲撃"事件の日]に、当局に報告してください。

フランシスコは「新しい教会」の指導者であり、彼の仕事はキリスト教を破壊することだけではなく、抵抗し続ける少数の残ったキリスト教信者にしるしをつけて追い詰めることです。フランシスコのゲームを理解するために、彼が自分の攻撃を隠そうとする嘘を考えてみましょう。

彼は、2000年の聖伝と真理を覆すような自発教令を発し、それを継続と一致の名の下に行うと主張しています。そのことを批判されると、また別の嘘をつきます。例えば、9月中旬に東欧を訪問した際、フランシスコに最近行った腸の手術について質問した司祭に対する、このような驚くべき回答があります。(https://apnews.com/article/europe-religion-pope-francis-slovakia-bratislava-f018aeb6e5d420703822ef75aed6272c)

「まだ生きていますよ」とフランシスコは言いました。「私が死ぬことを望む人もいましたが。世間で言われているよりも教皇の状態が悪いと考える司祭たちは、会議さえ開いたと知っています。彼らはコンクラーベの準備をしていたのです」。
「辛抱してください。私が元気であることを天主に感謝します」と付け加えました。

フランシスコは、信仰や聖にして母なる教会への攻撃に対する批判が個人的な侮辱であるかのように、真実を捻じ曲げています。(フランシスコの友人が発明した)コロナウイルスに感染したバーク枢機卿を公然と馬鹿にしたのはフランシスコでした。しかし、私たちは真理を忘れ、フランシスコが考えついたことを聞いて、それを信じるしかしません。その背後にあるものは、野心とそびえ立つ高慢さだけです。ローマ皇帝の候補者のように、フランシスコは冠を --- この場合は自分で想像したメロドラマのような殉教の冠を --- 拒否し、他方では、同時にそれを受け入れています。「彼らは私が死ぬことを望んだが、私は生きている!」と。いいえ、フランシスコ、私たちが求めたのはミサです。はっきり言うのは申し訳ないのですが、あなたのことではなかったのです。

嘘を隠すために嘘をつくという策略は、同じ短いインタビュー(しかもロイス・ラーナー流に事前に準備されていたと思われます)[ロイス・ラーナーは、オバマ大統領再選のため保守系団体を狙い撃ちにした税審査の厳格化問題で追及されて辞任した官僚]での一連のコメントにも引き継がれています。
フランシスコは、分裂や、自分を疑いの目で見る人々にどう対処するかについても問われました。これは、フランシスコが資本主義を批判し、環境や移民に焦点を当てていることを長い間批判してきたカトリック保守派への言及でした。


彼らの批判は、7月にフランシスコが古いラテン語ミサの挙行を取り締まったことで、怒りに変わりました。フランシスコは、引退教皇ベネディクト十六世[の自発教令]をひっくり返して、古いミサを捧げることを再び制限し、ラテン語ミサが教会の分裂の原因となり、イデオロギー的な理由で利用されてきたため必要な措置である、と述べました。

フランシスコはその回答の中で、ラテン語ミサの反響に言及し、「教皇の悪口を言い続けている大きなカトリックのテレビ局」があると指摘しました。彼は名前を挙げませんでしたが、EWTNメディア巨大企業のことを指していたのかもしれません。このテレビ局は現在の教皇職に批判的で、特にフランシスコが古いラテン語ミサを制限していることに批判的です。

「私は罪人なので、個人的には攻撃や侮辱を受けるに値するかもしれませんが、教会はこのようなことにはふさわしくありません。これは悪魔の仕業です」と彼は言いました。「ええ、私のことを悪く言う司祭もいます。時に我慢できなくなることがあります。特に、彼らが本当の対話に入らないで、裁く時そう感じます。あのような態度は、どうすることもできませんね。」

しかし、フランシスコは、自分の対応は、ただ宣教だけだと言いました。「私は、彼らの考えや空想の世界に入り込むことなく、ただ前進するだけです」と語っています。
この方向を変えることこそが、「新しい教会」の本質であり、「新しい教会」が生み出した「グレート・リセット」の本質です。まるで「資本主義」や「環境」の問題であるかのように。地球を偶像化し、共産主義を信経に変えたのはフランシスコですが、彼の嘘はすべてを反対に変えてしまうのです。

根本的な真実は、フランシスコが「新しい教会」とカトリック教会の間のあらゆるつながりを破壊したことです。その後、悪魔的な茶番劇で、教会を攻撃しているのは他の人々だというふりをしています。同時に、彼は自分のことだけでなく、自分が解体用のボールを振ってぶつけている他の教会組織についてもすべて、他の人々のせいだというふりをしています。

フランシスコは反キリストです。彼は聖ペトロ大聖堂の廃墟の上に座り、自分が消し去ったものを保存し、さらにアップグレードさえしたと主張しています。彼は、フルトン・シーン大司教が言ったように、愛から、そして宗教のために、これを行ったと主張し、聖母が予言した恐ろしいドラマを演じているのです。

圧迫を受けると、嘘つきのフランシスコはアキレスになって、誰もがいつも自分を狙っているとすねてしまいます。それはサラウンド音声による悪魔的な方針の間違いです。教皇フランシスコの口から出てくる言葉の全てがそうです。彼は混乱しているわけではありません。体調が悪いわけでもありません。彼は反キリストです。サタン的な分裂させる者です。キリスト教の大司祭(キリスト教的な天と地との橋作り)の衣装をした悪魔です。

この新世界秩序において、サタニズムがキリスト教であり、憎しみが愛であり、中絶された子どもたちが薬であり、反キリストが教皇であり、「新しい教会」が真の教会であり、ノブス・オルドが[真の]ミサであり、人口減らすことが管理であり、地球が神であり(占星術に対するフルトン・シーン大司教の警告を思い出してください―フランシスコは究極の占星術師です。地球を神格化していますから)、グローバリズムが愛国心であり、分裂が安全であり、ダヴィドの星がケアの象徴なのです。

この新世界秩序において、私をイシュマエルと呼びなさい[イシュマエルは、アブラハムの子供で、妻の奴隷であったハガルから生まれた。しかし、アブラハムの妻サラは後にイサアクを生むと、イシュマエルとハガルを荒野に追放した]。私に亡命者と拒否者の烙印を押しなさい。私を、身をすり寄せる群集から離れて歩かせなさい。私を山羊と呼びなさい。天主の小羊の血を拒む羊たちと一緒に群れるつもりはないからです。




コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。