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カトリックにおいて、子供の教育とは?

2023年03月29日 | お説教
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ド・ジョルナ神父様(B. de Jorna)のお説教 をご紹介します。
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

日本語字幕つきは近日掲載!

▼フランス語原文はこちら▼
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子を育てること、偉大な仕事、美しい仕事、超自然的な仕事
ド・ジョルナ神父様 
2023年3月19日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて

聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン。
親愛なる信徒の皆様、福音書の中でも一番感動するだろうと思われる場面があります。イエズスが歩きながら使徒たちに何について話し合ったのかと聞きます。使徒たちはちょっと恥じらって答えません。なぜなら、使徒たちは誰が一番偉いのかについて議論していたからです。

聖マルコによると、イエズスはカファルナウムのある家に座って、使徒たちに仰せになりました。「「第一の者になろうと思うのなら、みなのあとになり、みなの召使いにならなければならぬ」といわれ、一人の子どもを彼らの真ん中に立たせ、その子の肩を抱き、「私の名のために、こういう子どもを受け入れる者は私を受け入れる。私を受け入れる者は私を受け入れるのではなく、私を遣わされたお方を受け入れる」といわれた」(マルコ、9,35-37)



教皇ピオ十一世は教育に関する回勅において、以上の福音書の場面はどの言葉よりもこの上なくよく、キリスト教的に子を育てること、偉大な仕事、美しい仕事、超自然的な仕事であることを表現しているといっています。イエズスご自身がご自分を子どもであるかのようにおっしゃった場面です。

ですから、福音書から明白に読み取れるように、我らの主は子どもの霊魂を非常に大切にしていらっしゃり、また教育はとても重要なことであると思っておられます。ピオ十一世がいうように、キリスト教的な教育は偉大な仕事であり、美しい仕事であり、超自然的な仕事です。両親をはじめ、子どもを育てる責任のある者にとって子どもを育てるために全力をつくし、時間を与えて、すべての手段を尽くすことは最も偉大な仕事です。

良く成功する教育を与えるためには多くの状況があります。その内で一番重要なことがあります。学校の問題です。両親と学校との関係の問題です。

現代ならなおさら重要な問題です。なぜなら、学校はだんだん大きな一角を占めるようになっているからです。ご存じだと思いますが、最近、政府が決定した法律で、就学義務は六歳から三歳へ繰り下げられました。そして、ホームスクーリングは実質上禁止されました。

ピオ十一世は同じ回勅において、最も穏当なことを述べます。自然法上にも、カトリック的にも学校をどう見るべきか述べられています。引用します。
「学校は本質的に二次的制度に過ぎなくて家族と教会を補助するために存在する。それがゆえに、学校は家族と教会と反対してはいけないどころか、積極的に家庭と教会に和合する必要がある。このように、家庭と教会とともに、学校はキリスト教的な教育のために一つの聖域をなすべきことである。そうならなければ学校はその存在理由を全うしないで、その目的から外れて、かえって、破壊的な組織になっていく。」

カトリックの教えの中に、ご覧のように学校の存在が認められているものの、学校の立場は二次的にすぎない、次席にすぎない。主役ではなく脇役にすぎません。なぜなら、学校はあくまでも親の仕事を補助するためにあるだけだからです。ですから、道徳的にも理論的にもキリスト教徒の両親には、教育の責任があるので、学校を通わせるなら、カトリック学校に通わせる義務があるというふうに教皇は結論づけます。それは家庭、教会、学校の教育の一貫性を実現するために必要です。

しかしながら、どこにでも本当に徹底的なカトリック学校があるわけではありません。現実は厳しいです。なぜなら、19世紀末からカトリック学校は激しく攻撃され続けてきたからです。

非常に手短に要点だけを思い出しましょう。1880年、修道士の国外への追放令がありました。多くの修道士は教員で、学校施設を運営していました。例えばイエズス会、サレジオ会、ラ・サール会などはそうでした。
またそのちょっと後、フェリーとGoblet諸法は教育内容と教員たちの世俗化(無宗教化)を強いました。そして、1904年7月、Combes法があります。これをもって、フランス国内で、カトリック修道会が学校施設、教えることは厳禁されました。フランス滞在が合法化されている修道士も含めてです。またこれら修道会のすべての財産を没収することを命じる法律です。

これではカトリック系の教育は生き残るために、方便を見つけざるを得ませんでした。世俗者の信徒の助けを求めて、もともと教区から独立した修道会らは教区の加護のもとに自分を置かざるを得なかったのです。
幸いなことに、第一次世界大戦を経てから、これらの法律は適用されなくなり、カトリック学校は黙認されるようになって、第四共和政になったとき、一時的に公認されるときもありました。第五共和制の間、カトリック学校は一応その存在が許されていましたが、国家からは、何の保護も補助もなしでした。
一世紀半から、フランスにおけるカトリック学校の歴史を要約してみましょう。戦闘の歴史です。その存在を認めてもらうための政治上の戦闘の歴史です。国家など、公の助成金に頼らない、金銭上の戦闘の歴史でもあります。

この戦闘の歴史を代表的に象徴しているのは、聖ビンセンシオ・ア・パウロとルイーズ・ド・マリヤックとが創立した聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会があります。角頭巾のシスターたちとかつて親しく呼ばれていましたね。聖ビンセンシオ・ア・パウロによると、シスターたちは修道院は病者の家であり、禁域が町の通りだといいましたが、この修道会は多くの試練を通して現代まで生き残りました。

例えばですが、フランス革命の直後、多くの修道会の内に、愛徳姉妹会が最初に正式の存在を取り戻しました。また19世紀中に、愛徳姉妹会のシスターたちは子どもを治して、教えて、世話しつづけました。特に女性を。現代の誠意のある歴史家は19世紀における女性の識字化教育の発展の歴史は、愛徳姉妹会が重要かつ中心的な役割を担ったと認めています。

同じように、ジャン=バティスト・ド・ラ・サールが創立したラ・サール会またはキリスト教学校修士会があります。どれほど革命の混乱があっても、政治反乱があっても、迫害を押し付ける法律が出ても、戦い続けた修道会です。
二つの修道会とも、時には解体されたり、追放されたりしました。しかし、必ず戻ってきて、改めて組織化して、キリスト教的な教育を与え続けるために戦いました。

愛徳姉妹会の有名なシスターの事例を取り上げましょう。Jeanne Marie Renduですが、修道名はシスター・ロザリーです。19世紀の前半、54年間以上に、パリのムフタール通りの女性に教え、貧乏人の世話をし続けました。



現在はどうなっているでしょうか。
以上のような迫害の歴史があって、現代、本当に徹底的にカトリック的な教育を貫くカトリック学校すなわち国家契約を結ばない学校は少ないのです。このような学校を開校するのもほとんどの場合、利潤目的です。生き残って長生きするのは至難の業です。このように成功する学校を可能にさせるのは、毎年絶えない教員、両親、寄付者の寛大な気前の良さによるものです。

ここの小教区付属の学校、聖ルイ学校(昔は聖ベルナール学校)も一緒です。40年前に開校されましたが、最初は利潤目的でした。生徒の数は少なくて、教員と院長は若かったです。歴代校長ら、教員ら、両親と寄付者のすこぶる貢献によって、徐々に大きくなっていきました。1990年、中学校は郊外のクールブヴォアへ引っ越ししました。そして、小学校は当時と同じ場所にあります。聖ルイ学校は我々のための模範でしょう。よき天主さまは現代、我々に何を求めておられるかを教えてくださる事例でしょう。

我々はみな、よく、大きな「すべき論」を簡単にやるでしょう。キリスト教圏を再建築するためになにをすべきかなど、大きな夢を見ることが多いでしょうが、そのあまり、ときどき、善業は既に存在することが忘れられます。そしてこれらの善業を支えるべきことを忘れることもあるでしょう。この世に広まる悪はよき天主によって許可されているものの、よき天主は我々に戦うように求めておられます。既存の善を守り、増やすように戦闘することを求めておられます。

カトリック学校、とくに聖伝系のカトリック学校は既存の善業の中心なる部分を占めるに違いありません。なぜなら、将来があるからです。子どもの将来につなげるために、我々はこれらの施設を守り、増やしなければなりません。

ですから、毎年の通例のように、我々は皆さまの助けを求めに来ました。もちろん、物質的、金銭的な助けは必要です。我々の学校は両親が払う学費と寄付だけで成り立つわけです。そして、最近、建物などの改善事業を行っているので、必要です。

また、霊的な助けを求めます。なぜなら、我々がやっている教育の仕事は我々の力を超えているからです。キリスト教的にこどもを育てることにしていますが、そのために、超自然なる恩寵が前提です。このようなところは人間の力をはるかに超えています。一人前のカトリック信徒、大人を養成するためには、天主からの恩寵が必要です。それは皆さまの祈りにかかります。皆さまの助けのもとに、我々の学校は使命を尽くし続けます。

この使命は偉大な仕事であり、美しい仕事であり、超自然的な仕事である子を育てることという大目的のために、家庭の補助のためにあります。皆さまにお頼りして、天主に信頼して、毎年のように皆さまの助けで足りることを祈っています。
よき天主は皆さまを祝福されますように。
そして施しの代わりに、よき天主からあふれるほどの恩寵を受けらえますように。

聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン


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