アフィリエイト広告を利用しています

2023年01月29日

丸子城のなごり (川崎市)

つわものどもが夢の跡
石神井城を居城としていた武蔵国の名族・豊島氏が、太田道灌に敗れ、小机城へ逃れる途上で陣を敷いたと伝わる場所を訪ねました。

<丸子城跡>まるこ
kaeasaki-hiejinja-maruko-castle.JPG
場所は川崎市中原区の多摩川沿いの神社

<日枝神社>ひえ
kaeasaki-hiejinja-gate.JPG
この付近一帯が丸子城跡と推定されています

<境内>
kaeasaki-front-shrine-hiejinja.JPG
Hiejinja-main-shrine.JPG
私の訪問は1月上旬。三が日は過ぎていましたが、まだまだ訪れる人も多く、遠くから撮影しました。

1476年に勃発した長尾景春の乱において、景春に味方する豊島氏は、扇谷上杉家臣の太田道灌と激突することになります。背景として、南武蔵を拠点とする豊島氏にとって、江戸城などの拠点を次々に築いた太田道灌の存在が脅威になりつつあったことがあげられます。
結果は太田道灌の勝利。石神井城を居城としていた当主豊島泰経(やすつね)は、領地を追われ、同じく景春側についていた小机城の矢野氏を頼ることになりました。その途上で陣を敷いたとされるのが、今回の訪問地です。

<平坦な土地>
maruko-castle-flat-land.JPG
境内を含め、この付近は平坦な地形です。少なくとも今現在は、要害性を感じる場所ではありません。ただし、すぐ近くを川が流れています。画像左手奥の階段を登れば、そこはもう多摩川です。

<多摩川>
Maruko-Tama-River.JPG
昔の流路とは関係なく、この付近一帯が多摩川に面した低地だったのでしょう。豊島氏は現在の東京都から神奈川県へ逃れたわけですが、川を渡り切ったこの付近で、追撃を迎え撃つ拠点を設けたとしても何ら不思議ではありません。

豊島泰経が、小机城(現在の横浜市)へ逃れたという話にも諸説あります。ただまぁせっかく来たので、南武蔵のつわもの豊島氏が、道灌の進軍を食い止めようとした思いがここにあると信じ、現地をあとにしました。

Hiejinja-shrineflag.JPG
つわものどもが夢の跡

■訪問:丸子城
別称:丸子陣屋 丸子陣場
現況:丸子山王日枝神社
[神奈川県川崎市中原区上丸子山王町]

---------■ 参考画像 ■---------

<小机城跡>こづくえじょう
shirononagori294 (20).JPG
[神奈川県横浜市港北区小机町]
豊島氏は小机城まで逃れましたが、ここでも道灌に敗北。矢野氏は逃亡し、豊島泰経は行方がわからなくなったと伝わります。

■参考
・Wikipedia:2023/1/29



お城巡りランキング
タグ:豊島一族
posted by Isuke at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[関東]
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11840527
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 上杉謙信の軍旗 毘沙門天と懸かり乱れ龍
  2. 2. 近世小田原城のなごり
  3. 3. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  4. 4. 刑場近くの橋のなごり 泪橋と思川
  5. 5. 金沢城のなごり
  6. 6. 火の玉不動 大宮宿の水路と刑場のなごり
  7. 7. 足柄城のなごり
  8. 8. 近藤勇ゆかりの地(米沢市)高国寺
  9. 9. 大石内蔵助 終焉の地 細川家下屋敷跡
  10. 10. 大多喜城のなごり
  11. 11. 高岡城のなごり
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール
X (Twitter) Twitter-Isuke.JPG Isuke@shirononagori
最新記事

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]

アクティブライフ・シリーズ009 クルマで行く 山城さんぽ 100【電子書籍】[ 交通タイムス社 ]

[当サイトお勧め本]

小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫(日本)) [ 童門 冬二 ]


感想(39件)