楽しかったことなのに泣きたくなる

 懐かしいという感情は、なぜ涙腺に働くのだろう。

 その界隈は生活圏ではないが、時々訪れたことがあった。昔ながらの商店街。幼い頃、両親は時々ここで買い物をした。私の通った高校が近かったから部活帰りに遊びに行った。だから、今回久しぶりに出向くことになって、立ち寄った幾つかの店、一緒に歩いた同級生の顔を思い浮かべていた。

 JRの駅を降りて、まずは地下街を歩いていく。私鉄の駅へと続く、十分弱の長い地下道。前に来たのは何年前だっけ、十年、いやもっとか。さびれた感じは以前からで、それほど変化はない。卓球場が見えてきてはっとする。そうだ、ここには卓球場があったのだ。結婚前に夫と二度ほど卓球をしたことがあった。運動オンチの私だが、卓球だけは父に習って人並みに出来た。今はどうかな、まだ出来るのかな私。卓球場の隣はゲームセンターの筈だけどなくなっていた。器用な夫はあるゲームで私にキャラメルをゲットしてくれた。そういえば一時期よく二人でここに来ていたけど繁華街からは少し離れたここへ、あの頃なぜ足を運んでいたのだろう。今となっては思い出せない。行く宛てなく、ただ二人でいる為に時間を過ごして。

 私鉄駅の改札まで来たら階段を上がる。今度は地上のアーケードのある商店街を少し進む。ここも昔からの商店街だ。さびれた感じもあるが、パチンコ屋さんの前でタバコをふかしている老若男女、落語の寄席の前には呼び込みも立っている。かなりの数を並べた古本屋さんの戸口に色褪せたポスターは往年の海外スター、えっと・・・アランドロン!そうだアランドロンだ!そう、そう、アランドロンがまだ現役で貼られている、というか貼られたまま。そういう街だ、ここは。

 商店街を抜け、大きな公園を芝生に座り込む数十羽の鳩を横目に通って、いよいよ目当ての商店街に辿り着いた。

 その街区は再開発の途中らしく、囲われて入れない箇所もあったが、商店街は過ぎた時間を孕んでそのままの姿を留めていた。学校帰りに覗いた衣料品店、シェイクを飲んだハンバーガーショップ、あの喫茶店でパフェを食べたっけ。少し進んだ横手に、細い上り道があって別の商店街へ繋がっていく筈だったが。

 果たして、あった。でも、上り口の荒物屋はなかった。この店で、私はプラのコップを買ってもらったのだ。幼稚園で必要だった。入園前に両親とここへ買い物に来た。母が亡くなる九ヶ月前だったのだ。ピンク色で、おサルのイラストが描かれたコップ。私はおサルの絵気に入らないと駄々をこねたが、母は聞き入れてくれなかった。達筆の母が油性ペンで名前を書いてくれて、ピンクの毛糸で編んでくれたケースに入れて、一年間使った。

 さらに進むと、乾物や漬物を売る小さな商店が続き、人で賑わっている。父が年末に買い物に来ることがあったっけ。ぼんやりと歩く私の目に、珍しい赤カブの漬物が映る。父の好物だ。居たら喜ぶのに。そういえば、電気屋さんがなくなってる。大学時代に下宿で使ったミニコンポを買ったのはそこだった。

 そういえば小学校時代、お習字教室で仲良くなった友達がこの辺りに住んでて、自宅からは遠いここまで父が車で連れてきてくれたことがあったな。一時の付き合いだったが名前は確か・・・本間さん。肌が黒くてハーフっぽい、かっこいい顔立ち。

 中学生の頃に商店街の外れで父と待ち合わせをした時期があった。小さなペットショップがあって、そこで文鳥の雛を眺めて待っていた。へんなおじさんに声をかけられて逃げ出したことも。父が車を停めて現れると、向かいのお蕎麦屋さんに入るのだ。天ぷら蕎麦を食べる父。私は月見とろろ。

 次から次へと去来する記憶に胸がずきずき、眼球がじりじりしてきた。ちょうど用件の時間になったので、散策を打ち切り、感情を打ち切った。用件の後は逃げるようにその街を離れて帰途に着いた。

 夜、帰宅した夫に話した。

「なんでかなぁ、楽しい思い出なのに泣きたくなるなんて」

「いや分かるよ、胸が苦しくなるんだ」

 夫は小学六年生の時に転校していた。大学時代にかつて自分が住んだ町へ一人で行ってみた事があるがなんだか面白くなかった、と話してくれた。

「そういう場所にはね、一人で行っちゃ駄目なんだ。ここでどうした、あそこはこうだった、と話しながら行かないと辛くなるんだ。今度は一緒に行こう」

 行こう、今度はあなたが育った町にも。