【茨城・下妻市】大宝八幡宮 ② と 国指定史跡の大宝城跡 | キティ写真館♥電車旅で御朱印&マンホールetc.

キティ写真館♥電車旅で御朱印&マンホールetc.

キティとともに♥御朱印♥️マンホール♥御城印などなど…写真で綴る電車の旅日記

2021.12.8

 

雨に濡れる

八幡宮と大宝城跡

 

栃木県下妻市にある

「関東最古の八幡様」

大宝八幡宮の続きです。

 

雨の勢いが強くなってきました。

雨にも負ケズ…

とても広い境内を散策!!

 

◆ 神楽殿 ◆

神楽殿の下は見事に真っ赤な絨毯

雨に濡れて光輝く、紅葉の落ち葉

 

◆ 手水舎 ◆

色とりどりの球で飾られていて

可愛らしい手水舎

(写真ではよく分からないけど

亀さんの口から水が流れてきます)

 

摂社・末社は数えきれないほど!!

◆ 若宮八幡宮 ◆

文治5年(1189)奥州征伐平定の日

源頼朝が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し、

摂社若宮八幡宮を創建されました

 

◆ 祓戸神社 ◆

両脇の狛犬が愛らしかったのでカメラ

 

御朱印をいただきに社務所に

マスク姿の神様がお出迎え

◆ 御朱印 ◆

(直書き)

 

境内にはもうひとつ史跡があります

大宝八幡宮は

平安時代から南北朝にかけてあった

大宝城跡の中にあります

大宝城跡(国指定文化財)
西、北、東方の一部を旧大宝沼に囲まれた

台地の自然地形を利用した城郭であり、

三方断崖に面した要害の地でした。

応徳3年(1086下津間盛幹が初代城主となり、

4代下津間弘幹で下津間氏は終りを告げました。

貞永元年(1232)に下野小山氏一族の下妻長政

城を築いてから、小山氏は代々下妻氏を名乗ります。

興国2年・暦応4年(1341)、4代目政泰のとき

春日中将顕国が小田城より移ってからは、

東国における南朝方の拠点となりました。
 その後、北朝方の猛攻をうけて苦戦を続け、

食糧不足と城内不和のため、

興国4年・康永2年(1343)落城しました。
 城主下妻政泰は討死したといわれています。
 城跡は大宝八幡宮の境内として

今にその面影を留めています。

 

こうして大宝駅に戻ったのでした