【宮城・松島町】鎌倉幕府5代執権北条時頼が関わる「瑞巌寺」 | キティ写真館♥電車旅で御朱印&マンホールetc.

キティ写真館♥電車旅で御朱印&マンホールetc.

キティとともに♥御朱印♥️マンホール♥御城印などなど…写真で綴る電車の旅日記

2022.11.3

 北条時頼により強行改宗

 松島湾クルーズ大感動のあとは

もうひとつの松島定番

瑞巌寺にお参りです

 ▲総門をくぐります

 きれいな並木道の参道

◆ 中門 (重要文化財)◆ 

本柱の前後に支柱を2本ずつ

計4本を建て、壁が無く、

骨組が露出した雄勁にして枯淡な門。

松島青龍山

(しょうとうせいりゅうざん)

 瑞巌円福禅寺

(ずいがんえんぷくぜんじ)
(臨済宗妙心寺派)
御本尊:聖観音菩薩
開基:(伝)淳和天皇
中興:臨済改宗:北条時頼、

法身性西(開山)

瑞巌寺竣工:伊達政宗、

雲居希膺(開山)

平安時代の創建。当初は天台宗延福寺

臨済宗建長寺派円福寺

現在の臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷。
平安時代の延福寺については、

天長5年(828) 淳和天皇の勅願寺として

慈覚大師円仁が開山した天台宗の寺で

奥州藤原氏の保護を受けたとされる。

平安時代の延福寺は現在の瑞巌寺とは

別の場所にあり、その位置は不明

 

◆ 本堂(元方丈)(国宝) ◆

慶長14年(1609)伊達政宗の創建で、

本堂と庫裏、御成玄関からなる

本堂へは庫裡から入ります

(残念ながら本堂内は撮影禁止)

◆ 庫裡(国宝) ◆

 

【鎌倉時代の源氏・北条氏との関わり】
文治5年(1189)に

源頼朝源義経を追討した時、

延福寺の僧は頼朝のために

義経を呪詛したといわれます。
寺には、見仏上人宛の北条政子の手紙と、

政子が寄贈した仏舎利があったと

伝えられています。

しかし、見仏は円福寺には属さない

松島に滞在していた行者であり、

政子の手紙は自筆ではなく、

偽作でなければ

後世の写しとみる説が有力。
鎌倉時代、禅に傾倒した

北条時頼(幕府5代執権)は

武力で天台派の僧徒を追い出して、

法身性西を住職に据えました。

時頼は岩窟で修行中の法身に出会い、

天台僧を滅ぼして禅宗を広めるという

密談を交わし、天台宗徒を追い払い、

法身に寺を委ねました。

怒った天台宗の僧は

福浦島に集まって時頼を呪詛し、

死に至らしめしたという伝説があります。

▼これがその密談を交わした洞窟

◆ 法身窟 ◆

諸国行脚中の北条時頼

法身性西と出会った場所とされる

 京都嵯峨天龍寺開山の夢窓国師が

ここを訪れた際、無人の洞内から

天台止観を講ずる声が聞こえてきたと

言われている。


▼法身窟の前のきれいな飾り

おみくじなんかも結ばれていました

 

◆ 御朱印 (直書き)

 

総門から受付までの参道横には

洞窟群が連なります

洞窟群は表参道の東側にあり、

洞窟群を抜けると表参道と合流して

瑞巌寺の正門にたどり着く。

納骨や供養のために、鎌倉時代の頃から

造営されていると伝わっている。

洞窟の前に置かれている観音像は

西国三十三観音順拝所

 三十三観音の前には和傘が

飾られていました

 洞窟群の反対側の緑地にも和傘が

 さすが国宝‼️

威厳のある寺院でした

 

にほんブログ村へ

にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ