徳川家の家臣「井伊家」と 龍潭寺 ② | キティ写真館♥電車旅で御朱印&マンホールetc.

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2024.1.19

「おんな城主直虎」再確認

 静岡県浜松市井伊谷

井伊家の菩提寺 龍潭寺 の続き

本堂を抜けると、渡り廊下で繋がった

絵になる建物を見ることができます


開山堂

元禄15年(1702)8世徹叟和尚が建立。

龍潭寺歴代住職の位牌を祀るお堂です。

県下では珍しい2階建ての楼閣造りで、

塔上に井伊氏の家紋彦根橘、

彦根井筒(井桁)が望めます。

 

萬松稲荷

享保元年(1716)祖山和尚代が

稲荷大明神を建立、

寛政8年(1796)に稲荷堂を再建します。

正夢稲荷と呼ばれ、

祈れば夢が叶うと言われています。

 

◆ 井伊家御霊屋 ◆

寛保2年(1742)建立。

井伊家歴代当主の位牌を祀るお堂。

堂内には元祖共保公、22代直盛公、

23代直親公、24代直政公の木像を安置。

直虎と母・祐椿尼の位牌や幕末の大老

井伊直弼公の位牌も祀られています。

 ▼左から24代井伊直政公、

22代井伊直盛公、元祖井伊共保公

井伊直政までの井伊家:井伊家22代代直盛は桶狭間で戦死、井伊家は受難の時代を迎えます。直盛には嫡男がなく、従弟の直親を23代当主として迎えるも、今川氏によって殺害され、井伊家の男子は、直親の遺児、幼い虎松(のちの直政)だけとなってしまいました。やむなく、出家していた直盛の一人娘が幼少の虎松の後見人となり、井伊直虎(次郎法師)を名乗り、女領主として井伊家の舵取りをしました。しかし今川氏との徳政令を巡る攻防や、家臣の謀反でお家断絶の危機を迎えます。この時、徳川・武田の遠江侵攻が始まり、幼い虎松を三河・鳳来寺へ預けます。やがて15歳になった虎松を徳川家康に仕えさせ、直政となって活躍し井伊家再興を果たしました。

井伊家の御籠

 

本堂を出て庭園に向かいます

◆龍潭寺庭園 ◆

(国指定名勝)

本堂北庭に築かれた池泉鑑賞式庭園

中央に守護石、左右に仁王石、

正面に礼拝石(坐禅石)が配され、

さらに池の型が心字池となっていて

寺院庭園の代表的な庭となっています。

東門(旧鐘楼堂)

龍潭寺では一番古い約400年前の建物。

直政母が再婚した松下清景の養子となった

松下一定(中野直之の次男)が寄進。

建物の痛みのため下部分を切り、

現在は低くなっています。

 

さらに奥に進んで…

 龍潭寺の墓所に向かいます

 井伊家墓所は、庭を見下ろす境内で

一番高いところに位置しています

井伊家墓所

正面右 初代共保、左 直虎の父・直盛

左列奥より松岳院祐椿尼(直虎母)、

直虎、元許婚直親、直親妻、直政

 

御朱印

書置きですが、ちゃんと墨書きです

龍潭寺には、まだまだ

紹介しきれていない堂宇や

名刹があります。

さすが、期待通りの寺でした!!

そして、「おんな城主直虎」は、それなりに史実だったことを

再確認させてもらいましたニコニコ


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