2024.2.28
真田幸村の娘も育つ
JR東日本の平日限定の
乗り放題パス 旅せよ平日
「キュン♥パス」
JR東日本の特急列車、普通車が乗り放題
10,000円 フリーパス
2回目の利用です
行き先は 東北新幹線🚄
まず 福島駅 からの 白石駅 まで
福島駅で東北本線に乗り換え
白石駅に到着です
天気は快晴☀ 気分は上々‼️
駅からバスに乗って白石城まで
バス停から城跡まで
行きすがらの坂道では
貴重な石垣が見られます
坂道を登り切ると
天守閣が見えてきました
いざ、天守閣ヘ
◆ 大手二ノ御門 ◆
平成7年(1995)に復元
城内の見取り図を確認
◆ 天守閣(三階櫓)◆
平成7年(1995)に復元
やっぱり青空☀だと
いい写真📷が撮れるなぁ〜
白石城が現在の近世城郭になったのは、
天正19年(1591)蒲生氏による
城郭整備によるものといわれています。
天守閣、入ります‼️
白石城(しろいしじょう)
(別名)益岡城
続日本100名城
白石城は、中世の頃には
白石氏の居館だったと伝わります。
戦国時代には蒲生氏、上杉氏、
伊達氏の所領となり、
江戸時代の慶長7年(1602)から
仙台藩伊達政宗の重臣片倉氏の
居城となりました。
江戸幕府の一国一城制の対象外とされて
明治維新まで存続しています。
片倉家と真田幸村の関係:戦乱の世に伊達政宗の懐刀として活躍した片倉小十郎景綱。その子である徳川側として参戦した片倉重長は、伊達の先陣として出陣。道明寺口において後藤又兵衛らを破り、後発隊だった真田幸村軍とも戦った。真田幸村は翌5月7日の「天王寺の戦い」で徳川家康の本陣まで攻め込むが力尽き、大坂城は落城。大坂夏の陣の決戦の直前、真田幸村は娘のたちの行く末を、なんと敵将である片倉重長に託しました。その後、その姫は白石城で育つことになります
▼展示物の甲冑
▼天守閣最上階
天守閣からの眺め〜
▼天守閣裏からの姿
◆ 御城印 ◆
* 追記ですが*
続日本100名城でも
「城カード」が販売される
ことになりました
私が訪れた時はまだ発行前…
とっても残念です
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