大内宿ー江戸時代へタイムスリップ|そば処 本家玉屋のねぎ蕎麦を堪能

江戸時代にタイムスリップするような宿場は、通りかかれば必ず寄り道をしている。
ところが、近くを通ることはあっても中々訪問できなかったのが「大内宿」である。
この、行きにくさは、大内宿が良い形で保存された要素にもなっているようだった。
大内宿のある下野街道は、一つの脇街道で、幹線に比べると小規模で、街道も宿駅も不備であった。
また、大内は若松へは16.5km 田島へは20kmの位置にある。
当時の一日行程には短く、本街道の間宿にあたり昼食のための休憩の宿場と言う位置づけだった。
高速を降りて片道1時間弱の道のりは、現在でも会津若松の観光地と組み合わせでなければここを目的にするには中途半端である。
今回、わざわざ行かなければ、永遠に行くことは無いような気がして、ルート的には無駄足になるけれど新潟から出掛けた。
行く手左側には会津磐梯山が見えていた。

私達の車の前を2台の観光バスが大内宿に向かっていた。どんなに混雑しているのかと気にしながら行ったけれど、大内宿の道は広い所為か人影は少なく、営業店も半分以下の様子で少し寂しい風情だった。

入り口で、現地ガイドさんと待ち合わせをして、大内宿の中を案内して頂いた。
一番に説明されたのは大内宿の住民憲章で「売らない・貸さない・壊さない」の3原則を守り、大内の景観・伝統的な屋根葺きの技術を未来へ繋いでいく活動を続けています。と書かれた看板。
昭和56年4月18日に重要伝統的建造物群保存地区に選定されて以来、国と県の指導のもと、町と地域の住民で様々な保存整備を実施している。
近くのダム工事の時に作ったアスファルトの道は、重要伝統的建造物群保存地区に決まった時に土の道に戻し、その時に電柱を埋設した。
茅屋根葺替は毎年2棟から4棟行っており、トタンを剥がして、茅屋根に復原する家も順次出ており、また現代的な家を周囲の景観に合うよう改築した家も出ている。

今まで見て来た街道との違いは、道路幅が広く家も広く大きい。
撮影所に迷い込んだのかと思う印象だった。
気が付けば同時に着いた2台のバスは出発していた。サッと見るだけなら1時間くらいあればいい。

大内宿で最も古いと言われる、築400年の民家を利用したお店「そば処 本家玉屋」で名物の「ねぎ蕎麦」を頂いた。


白ネギを箸の代わりに使い、時々かじって薬味にすると言う伝統の蕎麦だ。
箸も上手に使えないものにネギの箸は難しい。齧るうちにネギはばらけるので最後は箸のお世話になった。
ここでは、蕎麦の出来上がりを待つ間、麦みそを生大根の上に載せてお茶請けに出されたが、蕎麦味噌は抜群に美味しかった。
食後のデザートは「名物きんつば」らしいかったが、早い時間に売り切れの様子だ。

観光地のガイドは女性の方が良い。
まず最初に美味しいものを教えてくれるし、興味を持てば早くになくなるものはそちらから先に案内しても下さる。

宿場内をブラブラして、食事をしても予定の2時間はかからなかった。
ガイドによると、名産品と言うものは会津にあるので、ここでは発展しなかったそうだ。
季節に寄れば、大混雑もあるそうだけれど、少し残念な宿場町の印象だった。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

skogBLOG内の記事検索

カテゴリー

過去の記事

旅行関連の情報収集

ブログランキングで旅行関連のブログをご覧いただけます!

ガーデニングの情報収集

ブログランキングでガーデニング関連の情報を収集できます!
ページ上部へ戻る