看護研究が無駄ではないことを研究者が説明します

こんにちは。huginです。

今回は「看護研究」に関する記事です。皆さんの病院・病棟では研究活動していますか?僕も臨床時代、数年間看護研究をしていました。僕は元々大学時代から研究が好きだったので抵抗なく、むしろ自主的に看護研究をしていましたが、周りの方々はそうではなかったようです。
皆さんはどうでしょう?SNSを見ていても、看護研究に対する否定的な意見が散見されます。

「今年看護研究に指名されたんだけどモチベ上がらない…。やっても評価されないし、研究するくらいなら業務改善したほうが100倍意味あると思う」

「看護研究進めてたら『それは研究じゃなくてただの業務改善でしょ』って言われた。始めから業務改善させてくれ」

「研究って結局机上の空論でしょ。研究しても現場は良くならないしね」

このような「研究は意味がない」という発言を耳にしたり目にしたりするたび、それを仕事としている僕としては思いっきりツッコミたくなります。

こうした発言の多くは、研究を理解できていないことに起因すると考えています。こうした主張に対して、「思いっきり」というほどのツッコミではありませんが、研究者として応えていこうかなと思います。

本記事は、看護研究を進める上での具体的な方法論を解説するものではありません。予めご了承ください。具体的な方法論については、ご希望があれば記事にしようかな、と思っています(少々骨の折れる記事になりそうなので、いつ、というのは明言できませんが)

研究活動がなぜ必要なのか?

必要性①:研究がケアを支える

医療に携わる方であれば、「Evidence-based medicine:EBM」や「Evidence-based practice:EBP」という言葉を聞いたことがあるかと思います。日本語では「根拠に基づく医療」とか「根拠に基づく実践」などと訳されていますね。

単刀直入に言えば、この「根拠」を生成するのが研究活動です。したがって、必然的に研究活動は必要である、ということになります。

僕たちが今や当たり前に行っている褥瘡予防のための体位変換や一連の除圧といった看護介入も、看護学の研究者が長年研究した結果、かなり強いエビデンスレベルで実証されているケアなのです。つまり、研究は将来の僕たちのケアや働き方を変えるものなのです。

必要性②:看護職の倫理綱領にそう書いてあるから

「書いてあるから必要なのです」といえば、なんとも科学者らしからぬ主張のようでバッシングされそうですが、前提として、僕たち看護職はこの倫理綱領に則って行動することを求められます。看護職の倫理綱領第11条には、「看護職は、研究や実践を通して、専門的知識・技術の創造と開発に努め、看護学の発展に寄与する」と書かれています(看護職の倫理綱領はこちら)倫理綱領の成り立ちは割愛しますが、条文を見ても明確に研究活動に参加すること、研究活動を実施して看護学の発展に寄与することが求められています

必要性③:チーム医療に対等な立場で参加するため

これは研究活動を行う直接的な理由ではありませんが、医師や薬剤師、放射線技師、臨床工学技師、理学療法士、作業療法士といった、僕たち看護職の周囲にいる医療職は、基本的にEvidence-basedな視点で議論しています。「Aという治療とBという治療はどちらが有益か?」「XとYという薬剤は対象者にとってどちらが効果的か?」「NとMというリハビリテーションはどちらが介入効果が高いか?」など、いずれの職種も過去の研究知見に基づいて臨床上の意思決定を行っています

僕たち看護職は、「患者の思い」「家族の希望」など、比較的抽象的な言語で議論しがちです。それが悪い、ということではなく(むしろそれを大切にすることが看護の本質でもあるので)、「思い」「希望」などという抽象的で情緒的な事象についても、研究活動を通して、それらを尊重することの重要性を科学的に示した上で、他職種と議論することがチーム医療の中で求められているのです。

 

看護研究にまつわる課題

これまで看護研究を行うための必然性について確認してきましたが、実際に行う上での課題もあります。細かい課題はたくさんあると思いますが、ここでは大きく2つの課題について取り上げてみましょう。特に2つ目は重要です。

課題①:やっても評価されない/単なるタスクとして行っている

上司から「今年あなたは看護研究をしなさい」と命じられたり、実際研究してもそれが評価されない、というケースも多いでしょう。
これではモチベーションも上がりませんし、「ただ負荷になるならやらないほうがマシ」と感じるのも無理はありません。
ですが、これは「看護研究」そのものが悪い(もしくは不必要)ということではなく、それらが評価されない職場の問題です。
これはまた違う問題なので多くは触れませんが、「評価されない=研究そのものが不必要」というのは少々無理があります。

看護界では、研究をはじめとするこうした日常ケアに直接関わらわない活動を「学習機会」などと歪曲して、その活動を評価しない傾向にありますが、看護管理者を含め上層部はこうした活動もきちんと報酬に反映させる仕組みを整えることが、現場での研究活動を行う土壌を育む上でも必要です。少なくとも、係の割り振りなどで行う研究活動は個人の勉強ではなく業務です

課題②:研究そのものを理解している人が少ない

看護基礎教育上良いか悪いかは置いておいて、日本の看護師は専門学校卒の方が多いですし、大学教育でも真面目に(こう書くと語弊がありますが)研究を基礎教育で行っている大学は少ないのが現状です。
そもそも研究というものを理解していないのに「研究をやりなさい」と言われても、それはあまりに酷な話です
個人的には、研究をあまり理解していない段階で無理強いするよりも、研究をある程度理解している人(大学院修了者など)を交えて、最新の学術論文を輪読してディスカッションするほうがよっぽど有意義だと思っています。
もちろん、モチベーションがあって研究をしたい!という人は研究者としては大歓迎ですが、そのような場合であってもまずは大学院修了者などからレクチャーを受けて、研究とはどのような活動なのか、ということを理解するところから始めることをオススメします。

※看護研究に関するたくさんの書籍がありますが、正直間違ったことが書いてあるものもありますし、質の悪い参考書も多いです。知っている人に聞いてみて進め、良質な書籍で知識を補う、という方法で進めるほうが有意義です。

冒頭の例であった「看護研究進めてたら『それは研究じゃなくてただの業務改善でしょ』って言われた。始めから業務改善させてくれ」という話では、やる方も「ただの業務改善でしょ」と言った方も、適切に研究を理解していないがためにこのようなやり取りになっているのです。
ちなみに、業務改善であっても、まとめ方によってはきちんとした研究になり得るので、せっかく時間をかけて自分たちの何らかの活動をまとめるのであれば、ぜひ研究についてちょっとだけでも学んでみて、少しでも良い形で発表すると良いと思います。

 

より良い看護研究にするために

ここまで読んでくれた方は感づいているかもしれませんが、より良い看護研究にするためには、まずは研究という活動を理解することです。
完全に「研究とはなにか?」理解するためには、それこそ博士課程まで進学する必要がありますが、働いている皆さんはそこまで深く理解する必要はありません。
僕たち研究者がする研究は「学術/学問として意味(意義)があるか?」「科学的に適切な研究か?」というように、直接学問の発展を目指す研究です。臨床の方が行う研究は、その「」となる研究をしてほしい、と思っています(研究の質に対して優劣をつけているわけでは決してありません)。
具体的には、「今現場ではこんな問題があって、自分たちはこんなふうに取り組んだらこんな結果になった」というような思考や視点を意識しましょう。学会を見ていると、上辺だけ研究っぽくしていて現場が見えない研究もたくさんあって、非常に残念です。もったいない、と。形だけにとらわれずに、極端に言えば事例報告のような形でも十分だと個人的には思っています。
そのためには、「問題はなにか?」「問題に対して何をしたか?/何が必要だと考えたか?」「結果として何がどのように変わったか?」を意識してまとめてみましょう。それだけでとても明瞭で良い研究発表になるはずです。
「こんなので良いの?」と思われるかもしれません。でもそれで良いのです。研究とはほんの少しずつ、微々たるものであっても、昨日までわからなかったことを明らかにする活動です。
どのような問題に対し、何をどのようにしたのか、その結果何がどのように変わったのか。たった1つであってもそれが「わかった」ということは、必ず明日の看護を良くするものですし、立派な研究なのです

 

さいごに

研究活動で悩んだり、進め方がわからなくなったりしたら、ぜひ研究者に相談してみてください。最近は軒並み学会がオンラインになっていて機会が少ないですが、学会などで「いいな」と思った研究者を捕まえて相談してみてください。研究者は基本、研究について語らうのが大好きな人種ですので、良い研究者であればきっと相談に乗ってくれるはずです。
いつかどこかで皆さんと交流できるといいな、と思っています。

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