小説『彼女は頭が悪いから』を読んで。フィクションだからこそ

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『彼女は頭が悪いから』という小説がある。

東大生5人による強制わいせつ事件に着想を得た小説である。

現実に起こった事件に着想を得ながらも、この作品はあくまで小説であってドキュメンタリーではない。

著者の姫野カオルコ氏が文庫版あとがきにて「本作は、事実としてのこの事件のノベライズではありません。 事件は東京地裁で執行猶予付の有罪判決が出て終結しました。 本作は、いやな気分といやな感情を探る創作小説です。」
と書いているように、事件にもとづいて書かれたわけではない、架空の小説である。

強制わいせつの被害を受け、事件発生時に「東大生狙いの勘違い女」として責められた女性がこの小説では主人公の美咲で、彼女の人生が丁寧に描かれる。強制わいせつの加害者となる男性も、もう一人の主人公として人生が描かれていく構成だ。

この小説を読み進めていると「人を馬鹿にする気持ち」に直面する。忌々しく腹立たしく感じつつも、どこかで自分もこの女性を馬鹿にしていないだろうかと思わされる。

私は、こんなふうになりたくないと思っていないだろうか。なぜそう思ったのか。優しくて思いやりがあって、両親と弟妹のために毎日家事をこなす素晴らしい女性なのに。知性が足りないと感じさせるからだろうか。おそらくそうだろう。

そして文庫版あとがきに書かれている、この小説がフィクションであるということに敬意と必然性を強く感じた。

その人の気持ちと人生を考えると、取材して書くことはしたくないしできない。そう感じる繊細な人がフィクションで書くからこそ、救いのない事件に希望を提示することができるのかもしれない。

フィクションでなかったら、とても書けるものではないと思う。あまりに非道だし、ノンフィクションで書きたい人が仮にいるとすれば、この小説の結末のように美咲を慮った希望を示すことは不可能ではないかとも思う。
小説の終盤で、主人公の美咲が通う女子大の教授が、美咲と公園を歩きながら話すシーンがある。女性である教授が過去に経験したことを話し、共感を伝える。教授が美咲に伝えた共感はきっと、美咲がこれから生きていく中で思い出して力になるだろう。読んでいてそう思えることに一抹の希望を感じる。

美咲の人生も温かく、さまざまな人間関係の中で描かれる。描写に愛があると思う。

取材して事件をノベライズしたわけではなく、あくまで着想を得ただけの架空の物語。ひとの人生を大事に思うからこそ架空で書いているし、どこにも救いのない事件に希望と願いを提示することもできるのだと思う。

私はこの小説を読んでいやな気持ちと向き合いながら、自分と周りの人をありのままに受け止める柔らかさのような発想の広がりを、読後感として覚えた。さらには小説ができること、創作の可能性を示されたような希望も感じた。

昨年、『彼女は頭が悪いから』の小説を読むことができた。この本との出会いに心から感謝している。


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