金沢城の楽しみ方③ | おおとり駆の城日記

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子供の頃からお城好き 今までに巡ったお城の感想 その他どうでもいい趣味のことなどあれこれ綴っていきます

しばらくお休みしていましたが、金沢城の訪問レポート再開します。今回はその3です。


本丸を後に二の丸へ向かいます。


二の丸御殿跡

広大な二の丸いっぱいに、かつては御殿が建っていました。現在発掘調査の真っ最中で御殿の復元計画もあるそうですので、数年後を楽しみにしたいと思います。


菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓

現在の金沢城を象徴する櫓群を三の丸側から眺めます。平成13(2001)年に木造で復元されました。


菱櫓(ひしやぐら)

名前のごとく、建物の床がひし形(内角が80度と100度)になっています。大手門の表裏を見張るための物見櫓でしたが、江戸時代を通じて天守の代用とされました。


橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)

二の丸正門の橋爪門を監視するための櫓で、石川門同様の枡形門でした。


五十間長屋内部

菱櫓と橋爪門続櫓を繋ぐ五十間長屋の内部。まっすぐな廊下が100メートル近く続いています。内部は釘やボルトなどを使わない伝統的な木造軸組工法で復元されています。モニターには復元工事の様子などが映し出されています。



木組みの模型など内部構造がわかる展示もされています。


海鼠壁(なまこかべ)

外壁に用いられているモザイク模様の壁。均一に並べられた平瓦を盛り上げられた白漆喰で接合しています。漆喰部分の盛り上がりが海にいるナマコに似ているのでこう呼ばれています。土蔵などに多い工夫ですが、お城では金沢城の他、新発田城などにも見られます。


鉛瓦(なまりがわら)

これも金沢城の大きな特徴のひとつです。

瓦といっても実際の瓦は使われておらず、木の瓦型に薄い鉛の板(薄さ1.8m)を貼り付けたものです。鉛瓦が使われている理由は、積雪に耐えるため、軽量にするため、見た目を美しくするためなど諸説ありますが、よく言われる「有事には溶かして鉄砲玉にできる」という話は俗説のようです。


出し(出窓)

銅板が貼られた「出し」とも呼ばれた出窓。これも金沢城の建物のあちこちで見ることが出来ます。底面を外すと石落としになります。出窓の屋根が唐破風なのが優雅な印象を与えています。


河北門(かほくもん)

金沢城の「三御門」(石川門、橋爪門)の一つです。三の丸を守る実質上の大手門で、他の二門と同じく「枡形門」となっています。明治15年頃まで存在していましたが、撤去され、平成22年(2010年)に復元、内部が公開されています。


河北門二の門の櫓部分(2階)へ向かう木組み階段の途中から見る菱櫓。

江戸時代当時の建物がひしめく向こうに見える巨大な櫓の姿は、きっとこんな感じだったのかなと思わせるビューポイントです。


金沢大学誕生の地

明治以降、金沢城跡には陸軍第九師団司令部や歩兵第七連隊などが第二次世界大戦終戦まで置かれていました。

戦後の昭和24年(1949)には金沢大学の丸の内キャンパスとなり、地元では「お城のキャンパス」として親しまれていました。その後、金沢大学も平成元年(1989)から7年(1995年)にかけて城外へと移転し、その後金沢城跡は公園として整備され、復元事業も進むことになったのです。大学時代は石川門が正門であり、三十間長屋も図書館として使われていたそうです。


次回は石川門から外周をご紹介します。



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