本尊はミャンマー仏像! 土浦の宝積寺とビルマを繋いだ男の物語

2021/11/19

茨城 日本のミャンマー

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 Address : 茨城県土浦市木田余2515


1306年(嘉元4年)の開基と伝えられる土浦市の古刹、木田山宝積寺。
地元以外ではほとんど知られていないが、宝積寺の本尊はミャンマーから持ち帰られた仏像だ。
もともとシュエダゴンパゴダに奉安されていた仏像を、1928年(昭和3年)に当時の住職の弟が持ち帰ってきたという。
そこにはかつてビルマで半生を過ごした、一人の男の物語があった。


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飯山文雄。宝積寺15世飯山俊道の弟で、現住職の大叔父にあたる。
小学校を卒業した彼は地元土浦の米穀商にて小間使いとなった。しかし文雄の夢は大きく、15の春に店を飛び出し一人横浜へ、そこで日本郵船の乗り込みコックとなった。半年間の見習い期間を経てコックとしてインド行きの船に乗り込んだ文雄は、途上のラングーン港に寄港した際に山上に燦然と輝く黄金の塔に目を奪われた。

停泊時間を利用してこの黄金の塔、シューダゴンパゴダ(シュエダゴンパゴダ/Shwedagon Pagoda)へと赴いたが、見物の間に船は出航してしまい、帰りに寄港した際に拾うのでラングーン事務所にて待機するように指示があった。
その待機中、目抜き通りを歩いていると日本神農院という看板のかかった大きな病院がありそこにふらりと入ると院長の加藤周平が出てきて、どういう経緯かはわからないが当院で働かないかと誘われた。船乗りに特に思い入れもなかった文雄は即座に当院に雇われ、薬局勤務としてラングーンで働き始めることとなる。
なお、船が予定通り再びラングーン港へ寄港した際は加藤院長が文雄を匿い、結果的に日本郵船から文雄の実家には行方不明となった旨報告がなされ、実家では葬式もあげられたという。

ラングーンの地で文雄はその才覚を発揮していく。
加藤院長はもともと東京で産婦人科を経営しており、評判の良い医者であったが堕胎罪により医師免許を剥奪されたという過去を持っていた。ただし腕には自信があり、ラングーンで開業した後もその評判から大きく繁盛していたという。
しかし加藤は開業してから5年ほどで諸事情により帰国、その際友人の野村喜祐へと経営を譲渡した。文雄は野村にも気に入られ、薬局に加えて経理も担当、病院は引き続き繁盛を続けたという。
しかし野村も3年半ほどで帰国することとなり、病院は文雄が40万円で譲り受け、日本から医者を数名呼び寄せて運営することとなった。文雄に経営の才があったのか、以降も病院は繁盛を続けここでようやく文雄は長年音信不通であった実家へと手紙を送る。

住職で兄である飯山俊道をはじめ兄弟姉妹はこの知らせに喜び、次兄は当時まだ独身であった文雄のために日本で嫁探しにも着手したという。嫁ぎ先がビルマであったことからなかなか見つからなかったが、そんな中群馬県前橋市生まれの「せい」を見つけ、彼女は単身でラングーンへと渡り文雄の妻となった。15歳で土浦を飛び出した文雄も既に36歳となっていた。

さて、せいの地元前橋ではビルマに嫁いだということで「相手は黒んぼだ」、「羅紗緬(所謂外国人相手の娼婦)にならなくてもよいのに」といった根も葉もない噂が飛び交い、手紙でそのことを知った文雄はもちろん激怒した。
そして1928年(昭和3年)、そんな噂をした者たちの鼻を明かすべく夫婦で帰国し盛大な結婚披露宴を行った。

前置きが長くなったが、ここでついに本尊である仏像の登場である。

文雄は帰国するにあたり、実家に様々な土産を用意した。
そのうちの1つがこの仏像で、もともとシュエダゴンパゴダに奉安されていたものを、新しい仏像を用意する代わりに手に入れたといわれている。
この仏像の他、経典の書かれた貝多羅葉(ばいたらよう)と応量器も持ち帰られ、兄弟姉妹には金やダイヤの指輪、文雄の母校の真壁小学校(土浦市立真壁小学校)にはワニの剥製を贈ったという。
そして前橋での披露宴には親族や地元の人間約80名を昼夜に分けて招待し豪華な披露宴を行った。その際にせいが着用した衣装はダイヤ・ルビー・オパールをちりばめた指輪や腕時計、帯留めの装飾などその総額は現在の価値で800万円にも上るようなものであったというから文雄がラングーンでいかに成功していたかがわかるだろう。

こうして悪い噂も一掃し、夫妻は清々しい気持ちでラングーンへと戻っていった。
以降終戦まで病院を経営し巨万の富を築いたが、敗戦とともに財産は全て没収され、収容所へと抑留されることとなる。そして1946年(昭和21年)秋、着の身着のままで日本へと引き揚げてきた。

こうして華やかなビルマ生活は終わりを告げた。
しかしながら現在も持ち帰られた仏像は当寺の本尊として、また貝多羅葉と応量器も大切に保管されている。なお、このうち貝多羅葉は1974年(昭和49年)に土浦市の市指定文化財に指定された。

(*応量器も見せて頂きましたが撮影を失念しました。あの時の自分を殴りたい。)



本件についての更なる詳細は以下の記事を参照ください。




貝多羅葉

パーリ語


2020/11撮影

参考文献:
市村壮雄一:茶の間の土浦五十年史



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ヤンゴンのコロニアル建築を中心にミャンマーのニッチな観光情報をまとめています。
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