遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

伊東静雄ノート4

2019-12-10 | 近・現代詩人論
いかなれば今歳の盛夏のかがらきもうちにありて、
  なほきみが魂にこぞの夏の日のひかりのみあざやかなる。
夏をうたはんとては殊更に晩夏の朝かげとゆふべの木末をえらぶかの蜩の哀音を、
いかなればかくもきみが歌はひびかする。
いかなれば葉広き夏の蔓草のはなを愛して會てそをきみの蒔かざる。
會て飾らざる水中花と養はざる金魚をきみの愛するはいかに。     (「いかなれば」全行)

「いかなれば」という詩にも仮定の以外の負性のようなものを感じられるだろうか。そしてそれは日本の近代詩が負性のようにかかえている,言い換えれば詩人を取り巻く宿命のようなものの側面を時代的にとらえているものではないかと思えてしかたがない。いま伊東のやってくるまでの詩人に思いをいたしてみよう。

伊東以前の詩人自らがその思想を詩のなかで表現というよりも、そこには時代的な大きな壁がそびえていたのではないか。近代の自我を打ち砕く巨大な岩石。その岩石に伊東以前の詩人達はことごとく砕け散ったか、あるいは他の方向へと詩をみすてるように立ち去ったのでなかったか。伊東が故郷からひたすら遁走しつづけたように。しかし、ここで伊東の出現以前の詩人論を展開する余裕はないが,たとえば,近代の自我にいちはやく目覚めながら自死という結末で自らの〈生〉の仮構をたった北村透谷がまず考えられる。そして透谷の精神をうけついだといわれる藤村の詩から散文への転身がある。

石川啄木なども短歌からの出発が詩から散文へといそがせたのは,時代閉塞のなかで、なによりも言葉の目覚めが表現主体の自立における苦闘であったのではなかったか。

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