私たちが理解出来ない「概念」 言葉 [自閉症資料4]
「つかんで」
こう言われて、あなたはどう手のひらを動かすか。
正常な人は何をつかむか考える筈だ。
何をつかむか。
野球のボールなのかバスケットボールなのか。
くるみなのか栗なのか、ウニなのか。
バッグなのかカバンなのか。
レジ袋なのか棒なのか。
つかんでと言われても、何をどうするかによって考えるし、それに相応しいつかみ方をする。
そんな事を考えた事も無い。考える前につかんでいると言う人はハイパーADHDな人だ。さすがだ。
私の妻はもっと凄い。
レジ袋を差し出して「もって」と言うと、必ず棒を持つ様にレジ袋を持とうとする。どんなに言っても
何度言っても、やはりレジ袋を出すと棒を持つ様にレジ袋を持つ。
レジ袋にリンゴが入っていたらどうなるか。レジ袋の取っ手の所を棒を持つ様に握る。握力は弱い。
リンゴは重力の実験の通り、そのまま袋ごと落下し物理実験が成功する。
何度言ってもこうなる。IQ129だろ!
そこでレジ袋を持って貰いたい時は「もって」と言う。レジ袋の取っ手の所を握る。その時「指入れて
指」と言う。
そうすると、なんとか親指あたりがレジ袋の取っ手の穴に入るから、それを確認してから手を離す。
そこまでやれば、物理実験にならないで済むし、ケンカもしないで済む。
これを考えると「つかむ」と言う言葉も、実は色々なつかみ方が集合した概念で
一つの単語=一つの動作では無い事が分かる。
これに類する事は、夫婦で何百時間話したか分からない。
結論としては、妻の頭の中では、つかむと言う言葉は幾つかの砂粒の集合体で、その集合体が概念で
ある事は十二分に理解している。特に知性の部分での理解。
しかしそれらの結びつきがほとんど無いから「つかむ」と言われると、言葉の砂粒の中の一つをつまみ
出して、一つぶの砂粒つまり、一種類のコマンド動作を毎回毎回行うのだ。
それに比べ「正常な人」の行動を観察していると、「つかむ」は粘土の固まりの様に、多くの意味を
含みながらも、形状は1個と言える。
1言語について1つの固まり、つまり概念を1個持っている。だから要求に応じて、その粘土の固まりの
都合の良い部分を使う訳だ。
これは、言葉に対応する動作について説明したが、私たちの頭の中では、色々な事の結びつきが非常に
弱い。(学問上は中枢性の統合理論)
前に話したヴィクトールのエピソードそのものだ。
妻は、これをサラサラの状態と言う。私は、全ての物事のプライオリティの優劣が無いと言う。
二人とも使う単語が違うだけで、同じ事を言っている。
砂時計の砂が下に落ちると山になる。これが究極の抵抗がゼロの砂だとすると、平面になる。
妻は砂時計の砂の話をしている。私は下で山にならずひたすら広がる粉体の話をしている。
この辺を考えていると、自閉症の子供の運動能力についても同じ事が言える。
妻は学校体育での運動は苦手で最低の成績でも、空手は黒帯で突きは異様に早い。ドラムを叩かせれば
プロ以上のリズムを刻む。
私も運動音痴なのだが競馬学校の入学テストでも行う、30センチ定規を親指と人差し指の間にぶら下げ
落下した定規を瞬時に掴むと言うテストは異様に早い。
おそらく運動も、それぞれの筋肉の集合体の連動だから、「概念」と言って良いのでは無いか。
そう考えると、運動の「概念」をいくら言われても脳内の根本の所で理解出来ていないから
(無いから)いくら練習しても上達しないんじゃないか。
一つの原因はそんな所じゃないかな。と私は考えている。
中枢性の統合理論知ってれば、感覚統合に明るい未来は無いような気がするけど知らないのかな。
【自閉症テレビ32】言葉って何?
こう言われて、あなたはどう手のひらを動かすか。
正常な人は何をつかむか考える筈だ。
何をつかむか。
野球のボールなのかバスケットボールなのか。
くるみなのか栗なのか、ウニなのか。
バッグなのかカバンなのか。
レジ袋なのか棒なのか。
つかんでと言われても、何をどうするかによって考えるし、それに相応しいつかみ方をする。
そんな事を考えた事も無い。考える前につかんでいると言う人はハイパーADHDな人だ。さすがだ。
私の妻はもっと凄い。
レジ袋を差し出して「もって」と言うと、必ず棒を持つ様にレジ袋を持とうとする。どんなに言っても
何度言っても、やはりレジ袋を出すと棒を持つ様にレジ袋を持つ。
レジ袋にリンゴが入っていたらどうなるか。レジ袋の取っ手の所を棒を持つ様に握る。握力は弱い。
リンゴは重力の実験の通り、そのまま袋ごと落下し物理実験が成功する。
何度言ってもこうなる。IQ129だろ!
そこでレジ袋を持って貰いたい時は「もって」と言う。レジ袋の取っ手の所を握る。その時「指入れて
指」と言う。
そうすると、なんとか親指あたりがレジ袋の取っ手の穴に入るから、それを確認してから手を離す。
そこまでやれば、物理実験にならないで済むし、ケンカもしないで済む。
これを考えると「つかむ」と言う言葉も、実は色々なつかみ方が集合した概念で
一つの単語=一つの動作では無い事が分かる。
これに類する事は、夫婦で何百時間話したか分からない。
結論としては、妻の頭の中では、つかむと言う言葉は幾つかの砂粒の集合体で、その集合体が概念で
ある事は十二分に理解している。特に知性の部分での理解。
しかしそれらの結びつきがほとんど無いから「つかむ」と言われると、言葉の砂粒の中の一つをつまみ
出して、一つぶの砂粒つまり、一種類のコマンド動作を毎回毎回行うのだ。
それに比べ「正常な人」の行動を観察していると、「つかむ」は粘土の固まりの様に、多くの意味を
含みながらも、形状は1個と言える。
1言語について1つの固まり、つまり概念を1個持っている。だから要求に応じて、その粘土の固まりの
都合の良い部分を使う訳だ。
これは、言葉に対応する動作について説明したが、私たちの頭の中では、色々な事の結びつきが非常に
弱い。(学問上は中枢性の統合理論)
前に話したヴィクトールのエピソードそのものだ。
妻は、これをサラサラの状態と言う。私は、全ての物事のプライオリティの優劣が無いと言う。
二人とも使う単語が違うだけで、同じ事を言っている。
砂時計の砂が下に落ちると山になる。これが究極の抵抗がゼロの砂だとすると、平面になる。
妻は砂時計の砂の話をしている。私は下で山にならずひたすら広がる粉体の話をしている。
この辺を考えていると、自閉症の子供の運動能力についても同じ事が言える。
妻は学校体育での運動は苦手で最低の成績でも、空手は黒帯で突きは異様に早い。ドラムを叩かせれば
プロ以上のリズムを刻む。
私も運動音痴なのだが競馬学校の入学テストでも行う、30センチ定規を親指と人差し指の間にぶら下げ
落下した定規を瞬時に掴むと言うテストは異様に早い。
おそらく運動も、それぞれの筋肉の集合体の連動だから、「概念」と言って良いのでは無いか。
そう考えると、運動の「概念」をいくら言われても脳内の根本の所で理解出来ていないから
(無いから)いくら練習しても上達しないんじゃないか。
一つの原因はそんな所じゃないかな。と私は考えている。
中枢性の統合理論知ってれば、感覚統合に明るい未来は無いような気がするけど知らないのかな。
【自閉症テレビ32】言葉って何?
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