師走の喧騒に熱を奪われたアラブの夜に、冬を知らせる冷涼な風が仄かな潮の香りを運び込んだ。
眼下に広がる中東の奇跡に目を細めながら僕は、思わず言葉をこぼした。
「……この手すり……コレちょっと低いよね……」
「たーまやー」と言う家主の呑気な掛け声が、馴染み深くも日本とはかけ離れた景色の中に、在りし日の故郷の情景を思い起こさせた。
12月2日────。砂上の楼閣と揶揄されたその先進都市は、世界がパンデミックの混迷に喘ぐ中、建国50周年を盛大に祝った。
散りばめられた宝石を思わせる街の灯りが、このドバイの繁栄を証明しているかのように思えた。
あらゆる面において整備されたこの近代都市は、生活する上で何の不自由もなかった。
その完成された都市構造は、パンデミックすらも追い風に変えてしまった。
また来年も、この花火を見るのだろうな────。栄華の光に埋め尽くされた地上と、その輝きによって星を忘れた都会の夜空が、違和感なく僕に、そう思わせた。
コロナが世界を混乱に陥れる前、新天地を求めていくつもの国を巡った。
ドバイに不満があった訳では無い。ただ、今よりも良い環境はないものかと、模索していたのだ。
ヨーロッパ、アメリカ、東南アジア────。それぞれの都市を訪れ、結論に達する前に、パンデミックが世界を襲った。
感染拡大を抑える為の都市封鎖措置は経済を圧迫し、世界恐慌を思わせる程の甚大な損害を人々に撒き散らした。
特に、強い関心を向けていた東南アジアの国々は深刻な打撃を受け、今尚、その傷は癒えない。
その惨憺たる状況は、僕を確信に導いた。
────やっぱり、ドバイが世界中の都市の中で一番良くない?
東南アジアの他に、ジョージアにも関心があった。
海外渡航制限が無いようなら、来年あたり見に行こうと思っていた矢先、ロシアが本格的に、ウクライナへ侵攻する準備をはじめた。
世界大戦にも発展しかねない、未曽有の混沌に飲み込まれていくウクライナは、ジョージアのすぐ隣。
もはや、向こうへ行くのは危険すぎる。
ドバイとジョージアはほど近いが、ウクライナは遠い。
それ故に、ここドバイにおいて東欧ロシアのいざこざは対岸の火事とも言えるものだが、距離的に遠いとは言い難い。
その危険とこの場所を隔てるものは丁度、花火の散り咲く夜空を臨むベランダの、少し低いその手すりと同じくらいなのかもしれないと、そう思った。