【がんサバイバー記①】卵巣がんが発見されるまでの修羅場 | New「がん」と私の奇妙な共同生活

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2017年に卵巣がん(組織型:明細胞腺がん)ステージⅢを告知された看護師が、
社会をサバイバーしていく過程をお伝えします。


「どうしてもっと早くに対処しなかったのかしら…」※イメージ図

 

またもやご無沙汰しておりました。
実は4月1日頃…世の中が新年号に華やいでいる最中、究極な程の体調不良に陥っておりまして…下痢と嘔吐三昧(お食事中の方すみません;)、それに加えて脱水症状を起こしておりました。
それでも翌日からは看護師勤務があり、しかも新人看護師の方がついていたので「休めない…」と鞭を打ちながら出勤し、そのリバウンドで休日寝込み、それを引きずって二日間欠勤で寝込み、ようやく昨日からずるずる…と復帰した次第であります。

ただ、寝込んでいる間もず──っと頭から離れなかったのは…今後の人生の方向性でして…。

体調不良のさなかにも、「これからの人生、どうしようか」「日本語教師になってもそこまで需要があるのだろうか」「いやいや、それなら一層のこと看護学校の教員になったらどうか」「待て待て、そうしたら日本から出られないぞ。それでもいいのか?」などなど、尽きることなく模索を繰り返していた次第です。

「知に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい」

 

と、夏目漱石大先生も仰っているように、とかく人の世は住みにくいわけです。(って、いやいや、あんたが勝手に模索してどん詰まってるだけだから;)

 

おそらくハタから見ると、

「そんな悩んでる暇があるなら、とにかくなんかやればいいじゃん。Nannyらしくないよ~」

という感じかもしれませんが…いやぁ、私も歳を取ったのか、或いは「ようやく世間を学んだ」のか…

「気力だけでどうにでもなるなら、苦労はないよね~」という境地に至りまして。(「四十にして惑わず」ってのは大嘘です。「大惑いしまくり」です。そろそろ「五十にして天命を知る」にならなくちゃなんですが、どう足掻いても背伸びして頭上を探れる程度です…)

相も変わらず「フンガフンガ」と藻掻いている次第です。

でも、これってもし「私が『がん』にならず、普通に生きていたら、こんなに迷わなかったンじゃないか」そんなふうにふと思いまして。

そこで、ちょびちょび近況報告なども入れながら「がんと告知されてから、がんサバイバーとして社会復帰するまでの奮闘記」の連載をしようと思い立ちました。

 

私は「このブログにすべて正直なことを書こう」と思っているので、かなりヘヴィなことも書く予定です。
でも、このブログは「がんサバイバー」の記録なわけですから、その真実をありのままに書くことも必要なんじゃないか、そう思っております。中には「がん」と告知されて検索されてこの記事を読まれている方もいらっしゃるかもしれませんので、包み隠さず本音と起きた出来事を書かせて頂きます(ただし、人名や組織が関わる場合には仮名とします)。

ブログ開設当初からお読み下さっている皆様は、ちと「復習(何の役に立つン??)」と思いがてらお読みくださいませ。

 

【1】卵巣がんが発見されるまでの修羅場

 

私は初潮時代から生理不順で悩まされるという、まるで「天命」のように婦人科疾患を与えられた人間でありました。前世なり過去世なりで、「よっぽど女遊びが酷くて、次から次へと妊娠させて女性を泣かせていたに違いない」と言いたくなるぐらい、婦人科疾患に悩まされていたのです。(ごめんなさい、もうしません;)

 

一番最初に子宮内膜症によるチョコレート嚢胞で卵巣を手術したのが1997年(26歳)、その後2002年にも再発し、その後にも再発してはホルモン療法を繰り返していました。

実は、今回の卵巣がんの「きっかけ」となる診断は、2016年4月に「すでにくだされていた」のです
その時、私は高齢者施設で看護師勤務をしており、急な腹痛により歩くこともおぼつかなくなったことから早退して病院にかかりました。

その時の病院は、尊敬していた看護師の先輩(S看護師)からお薦めされた病院で「K大学の婦人科権威の先生がいるから、そこにかかった方がいい」と言われてかかり、その時点で両卵巣が「4cm大」でした。

「チョコレート嚢胞は4cm大あれば内視鏡手術対象だから、休暇をとってK大学病院に来なさい」と医師から言われ、紹介状まで書いてもらったのです…

 

もらったの…です…が!!!

 

私が以前、チョコレート嚢胞で卵巣内摘出術をした時は、もう「15cm以上???」と言えるぐらい巨大になっていて、子宮を完全に卵巣が押しつぶしてしまっていたんですよね。
それにより卵管がねじれてしまって、結果「子どもの産めない体」になってしまったのですが…そういう体験から私は─

「4cm大って…まだ余裕あるよね??」

 

…と考えてしまったのです。
しかも、当時は前職の訪問看護師の仕事を辞めたばかりだったので、仕事に慣れるためにも休暇は取りづらかった状況で。
さらに言えば有給もまだなかったので──給与が欠勤扱いになってマイナスになることを考えると…
お金と体、どっち取ると言われたら…

 

お金、ですよね??(おい、看護師!)

 

そこで、「有給が出たら、か~かろ!」そう思って高をくくっていたのですが…
ここでひと言。
「病院かかるのあとにしよ~」と思ったら、その時は「永遠に来ない」。


ただ、「あとでいいやぁ」とただ単に引き延ばしていただけではなく、「事実上、かかるにかかれない状態になっていた」のも事実だったりします。
おそらく、がんになった方の8割方がそうなのではないかと思うのですが、がんだと診断された時って、

「私の人生、超らっき~♪ うっはうは~!!」

…っていう状況でなっている方って、ほとんど「いない」と思います。

 

たいていは皆さん、「超ウルトラど級」のストレスを抱えている最中に、がんと診断されているのではないでしょうか?

かくいう私も「そうでした」。

実は「4cm大の卵巣腫瘍」が見つかってから3ヶ月ほどがした後、私が尊敬していたS看護師が施設内の人間関係により退職してしまい、対立していたE看護師&仲間の看護師が残ってしまって、「ちょ~私、針のむしろなんですけどΣ( ̄ロ ̄lll) 」孤立無援状態に陥ってしまったのです…。

 

ええ、看護師というのはどこもそんな感じです、はい。

庵野監督の「シン・ゴジラ」の中の台詞で「政界は、敵か味方しかいない。シンプルだ。性に合っている」という台詞があるのですが、ある意味「看護師も敵か味方しかいない」と言えるかもしれません。「性に合っている」と格好良く言い切れないところが情けないですが…。

そんなこんなで、S看護師が退職した後は「ほとんど記憶にない」ぐらい、孤軍奮闘が続きました…。
まぁ、そうはいっても相手は「人」ですので、短所があっても長所もあります。私は出来るだけ相手の長所を見つめるように努力し、批難されたり理不尽な目にあっても、それは「受け流すように」対処していました。

でも…体の中には(そして心の片隅にも)積み重なっていたンですね…。

ようやく人間関係が円滑になってきたな~という頃。時期的には、2017年3月頃ですが、急に生理が来なくなりました。

私は生理のたびに大出血して白衣を血だらけにしたり、出血しすぎて血圧低下を起こして嘔吐したりを繰り返していたので、むしろ「ラッキー♪」ぐらいに思ってしまっていました。「閉経前によくある不順だろう」或いは、「聖母マリアのように、イエスを身ごもったか(ないない…)」。
まぁ、仕事も相変わらず忙しかったので、特に気にせずに勤務をしていたのです。

 

それから半年ほどが経過した8月下旬。

急に生理が来たのです。

来たのはいいけど、まるで「半年分、いっきに出血するぜぇ!!!」的な意気込み満載なぐらいの大出血!!
何度も血圧低下による嘔吐を繰り返し、脱水症状まで起こす始末。

その前辺りから、寝返り打つと右下腹部に「激痛!」が走って目が覚めるようになっていたので、「これは明らかに卵巣腫瘍が大きくなっているな」と思い、婦人科クリニック(最初にS先輩に紹介されたところはあまりに行かなすぎていて申し訳なかったので、違うクリニックにしました)を受診したのです。

その時は若い女医さんだったので、「ん~、大丈夫かなぁ?」ぐらいにナメたことを思っていたふざけた看護師でしたが、この女医さんが(美人な上に)腕も確かな方でした。

ちょっと神妙そうに、「以前かかったの、どのぐらい前ですか?」と聞かれたので、「すンません~。1年半前です~、ずっと放置していました~」と素直に答えたところ、

 

「今、右の卵巣は10cm大になってしまっていて、充実部らしきものが見えます。卵巣がんの可能性が高いですので、至急大学病院を受診してください。明日行けますか?」

 

と、ぐいぐい押してくる。こりゃただならぬ雰囲気だな、と悟った私は、「分かりました。行きます」と答えました。

 

さて──。

読者の皆様は、ここで私が「が──ん(がんだけに、がーん…)としたとか、ショックΣ( ̄ロ ̄lll)を受けたと思うかもしれませんが…

 

ぜぇんぜん、「普通」だったんですよね…。

 

言ってしまえば、当時の私は働き過ぎの疲労の極地にいて、「ものも考えられない状態」だったのです。 

だから、「がんになった! どうしよう!」とか、「やばい! 明日施設の往診日なのに、休めるかな?」とか、いっさい考えていませんでした

 

ただ、その時に考えたのは…

「E看護師達に『明日、休ませてください』と言っても、絶対に休みをくれないだろう。だから、ここは施設長に事情を言って、施設長から看護師に説明してもらおう」

という、小ずるい考えでした。

 

でも、この考えをしたことを後悔はしていません。

何故なら、翌日の受診で卵巣が「破裂寸前」だということが分かったからです。

実際に手術中、卵巣は「自然破綻」しちゃいました。

 

看護師は超ベリベリーハードな仕事です。
これで、私がE看護師達に「明日、大学受診なので休ませてください」というのを妨害されたら、おそらく私は卵巣が破裂して死んでいたかもしれないのです。(事実、がんが発覚する3ヶ月前からすでに体調が悪く、大学病院を受診するための有給を申請した時に、却下されたことがありました。)

なので、「Nanny、あの鬼畜め、許さねぇ!」「末代まで呪ってやる!(子はいないから末代ないけど)と悪口言われる方が遙かにマシだと思ったのです。

この判断は、今でも後悔していません。

 

ですので、がんの精密検査を受ける皆様。

遠慮なく、受診のための休みを取って下さい!

あなたの人生の責任を、上司も同僚も、誰も取ってくれません!
上司だろうが同僚だろうが、誰もがあなたの人生の「脇役」に過ぎないのですから。

 

 

(【がんサバイバー記②】に続く)


 

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【簡易プロフィール】 (詳細な経緯はこちら
2017年卵巣がんの組織型明細胞腺がん腹膜に播種転移あり、ステージⅢaと診断。
子宮・卵巣摘出手術の後、TC療法6クールを2018年4月末に完了。治療完了後再発リスクの高い2年(2020年まで)を経過観察中。

2019年2月8日の定期受診で、腫瘍マーカー「CA19-9」が正常値を超えて上昇。とはいえ、そんな病気にビクビクしてたってしょ~があるまいと、気にせず人生を模索中。「がんはなくなるものではなく、再発の危険性を踏まえつつも「共に生きる」と(もものけ姫のアシタカのごとく)決意。