前回の物語
物語の続きが始まります✨✨✨
【絆を深める】
いよいよ野戦部隊の第二陣が連合軍として派遣される日がやって来た。
見送りのバグパイプ軍楽団が、出征する部隊にエールの曲を贈る中、次々に海軍の艦艇に乗り込んでいく。
トーマスは見送りに来た沢山の友人、知人等と別れを惜しみ、テヒョン達とも挨拶を交わし、フランシスや家族と別れ艦艇に乗船して行った。
全ての乗船が終わるとロンドン港からフランスのカレー港に向けて出航した。
テヒョンはジョングクとフランシスと共に、艦艇がドーバー海峡の水平線をゆっくり進んで行く姿を見送った。
いよいよ完全に見えなくなると、テヒョンとジョングクは静かに涙を流しているフランシスを抱擁して慰めた。
先程まで見送りに来ていた沢山の人々が、徐々に港を後にしていく様が余計に寂しさを煽る。
「テヒョン様もジョングク様もお見送りありがとうございました。」
「もう大丈夫か?」
「はい、勿論でございます。」
フランシスの瞳には既に涙はなかった。
「またアンディに会いにお邪魔するよ。」
「はい。その時は是非お二人でいらして下さいませ。」
テヒョンとジョングクは、フランシスを馬車まで見送る。
「わざわざお見送りまでありがとうございます。」
「当然のことだ。アンディに宜しくな。」
フランシスは笑顔で応えた。
ジョングクが馬車の扉を閉める。テヒョンが御者に合図送ると静かに走り出した。
見送る二人の頬を潮風がかすめる。春を迎えたとはいえまだまだ震えるほど冷たい。
「テヒョン様、我々も帰りましょう。」
「うん。」
港はすっかり静寂を取り戻していた。海軍の指揮官の一人がやってきて、テヒョンに挨拶をしてジョングクに敬礼をすると港を後にして行った。
テヒョン達の馬車の前でスミスとデイビスが二人を待っていた。
デイビスがジョングクの肩にコートを掛けた。スミスはテヒョンにコートを掛けながら、
「暫くジョンソン男爵の笑い声が聞けないとなると、寂しいですな、、、」
としみじみと言った。
「うん、あの笑い声は言ってみたら癒しの一つだったからな。」
皆が一様に思いを巡らせる。
港に流れる潮風が更に強くなてきた。
季節と共にこの不穏な世の中にも、早く春らしい光が差す事が望まれた。
___________
連合軍派遣から約3ヶ月。
戦況報告が逐一国王の元に届き始めていた。
各国で起きていた暴動の方は連合軍の介入により徐々に鎮圧され、治安の回復に手を入れられる所まできていた。
「陛下、トーマスからの手紙が届いていると聞きましたが。」
「おお、まぁ慌てるな、、、」
テヒョンはプライベートで国王の私室に居て、戦況報告の内容を教えてもらっていた。
国王は沢山の報告書を捲り、トーマスからの封書を抜き出した。
「P国での戦闘の方は、なかなか苦労をしているようだぞ・・・」
手渡しながら言う。
テヒョンはトーマスの手紙を読んだ。
「・・・この、敵の指揮官が分からないとはどういうことなのでしょう。」
「司令部からの報告を見ると、どうやらD帝国側は軍旗を揚げてはいないようだな。ましてや揃いの軍服すら着用していないらしい。」
「それでは軍人と民間人との区別がつかず、攻撃がままならないということですか、、、」
「それが狙いなのであろうな。」
「なんと卑怯な、、、!」
「王位継承権を略奪し、独裁を企てる輩のやる事だ。誰がどうなろうとお構い無しなのだ。」
テヒョンは強い憤りを感じた。知らず知らずの内に瞳の中に青い炎がゆらめいた。
「そのお前の瞳、、、それがヴァンティーダの怒りの青か?」
「ああ・・・失礼致しました。つい感情的になってしまいました。」
「覚醒はしていなくとも、《尊き血》はちゃんと受け継がれているのだな、、、」
国王は思いを馳せるような遠い瞳で呟いた。
「陛下、私のような者でもヴァンティーダとしてお役に立てる事がありましょうか?」
「何を言っておる。ならぬ!ならぬぞ。万が一お前にそれがあったとしても、私の命令が降りない限り許さぬ。」
テヒョンは本気で駄目出しをする国王に笑った。
「有るか、無いかをお訊きしただけでございますよ。」
国王はその言葉にフッと笑ってテヒョンの肩を軽く叩いた。
「本来であればこんな馬鹿げた戦闘に加担する必要など無かったのだ。ヨーロッパ中の王侯達は皆同じ思いであろう。
誰も行かせたくはないはずだ、、、」
「分かっております。」
国王の心情を思いやってそれ以上言及はしなかったが、もしもジョングクが戦場に行く事があれば、自分も何かしら出来る事で行動を起こしたいと、テヒョンは密かに考え始めていた。
___________
キム公爵家の宮殿の庭園内もすっかり新緑が眩しい季節を迎え、色とりどりの花が美しく咲き誇っていた。
テヒョンとジョングクはそんな美しい庭園のキム公爵家のプライベート区域で、ピクニックでの昼食を採っていた。
芝生にブランケットを広げクッションを置き、バスケットに詰められたサンドイッチやフルーツ、焼き菓子のデザートをワインや紅茶で楽しんだ。
「外で二人だけでピクニックも久しぶりだな。」
「そうですね、、、軍務が忙しくなってからは、なかなかご一緒に出来ませんでした。」
実は最近、二人の結婚に関わる行事が式を含め全て延期になった。連合軍として野戦部隊を派遣している中で、国事として祝事を執り行うのは控えたいと、テヒョンとジョングク二人自らの申し出で決定したのだ。
この日は季節も過ごしやすくなったので、是非外の空気を味わいながら食事を、、、と二人を思うシェフの計らいでピクニックランチをする事になったのだった。
国民も楽しみにしていた二人の結婚式を延期する決断に踏み切った気持ちに、シェフなりに出来る事で寄り添いたいと思ったようだ。
ジョングク自身も多忙な日々を送っていたが、結婚式を延期して以降休み等で時間がある時には、こうしてなるべくテヒョンと一緒に過ごすようにしていた。テヒョンはその事に当然気付いている。
「目の前にいつも君がいるって、、」
テヒョンの呟きにデザートの準備をしていたジョングクが振り向いた。
「本当は特別な事なのかもしれないな・・・」
どことなく寂しそうな声に顔を近付けて応える。
「どうして特別なのでしょう?私達は結婚を約束した婚約者同士でございますよ。」
「そうだが、、、ただ、、二人が一緒にいられる事は当たり前な事ではないと感じたのだ。」
テヒョンの何か思い詰めたような様子にジョングクは、慰めるように微笑みカットしたケーキを渡す。
「それを仰るのであれば、私の方こそ恐れ多くも王族であるあなた様のおそばにいる事が奇跡であり、当たり前ではないのですよ。」
テヒョンは小さく首を横に振った。
「そのような曇ったお顔は、あなた様には似合いませんよ。はい、これを召し上がってお笑いになって下さいませ。」
ジョングクはそう言ってフォークを渡した。
「君は、、、今本当に幸せか?」
「勿論でございます。何故そのような事を、、、」
テヒョンはジョングクの腕を掴んで更に言った。
「もしも、、、今の君に僕の存在が足枷になっているのなら、結婚式の延期ではなく婚約自体を破棄してもいいのだ。」
「なんてことを!!・・・一体何を仰っているのですか!」
「だって!・・・」
テヒョンは感情的になりかけて、落ち着こうと深く息を吐く。
「君は、、、ずっと悩んでいるではないか。」
「え?」
テヒョンなりにジョングクの苦悩のようなものを感じ取っていたのだ。
だけれども真剣な瞳と腕を掴む力には、言葉とは裏腹に〔離したくない〕という思いが感じられた。そんな切ない気持ちに思わず掴まれた腕をグイと引いてテヒョンを引き寄せ抱きしめた。
「私はもう何度もあなた様への想いはお伝えして参りましたよ。分かっては頂けませんか?それとも、、、だまだ足りませんか?」
テヒョンは捕まえられたまま胸に顔を埋めて聞いていた。
「私の原動力は、ずっとずっとあなた様なのです。笑うことも、喜ぶことも、泣くことも、哀しむことも、悩みや怒りさえ全てあなた様の存在があるから感じられるのです、、、」
テヒョンが顔を上げると、ジョングクの一途な想いがこもった視線が真っ直ぐに降りてくる。
「私の生きる意味さえも、今ではあなた様がいるからという答えにしか辿り着かないのです。この事実がどれほど《活きる力》になっているか、、、」
「それは・・・ずっと、、、変わらないか?」
「はい。これからも変わらずでこざいます。」
「では、僕は君の足枷にはなっていないと?」
「当然でございます。例え思い悩む事があったとしても、あなた様を心からお慕いしての事でございます。」
テヒョンはジョングクの首に両腕を伸ばすと耳元に唇を寄せて抱きしめた。
「では、それならば君はずっと僕の伴侶だ。」
その言葉に抱きしめ返して応える。
「ずっとでございますよ。」
幾度となく交わした想いを確かめ合うように、二人は未来永劫この尊い絆が切れることなく、お互いが天命を果たす時も結ばれたまま昇華するのだと誓う。
二人の絆が更に強固なものに結ばれると同時に、運命の歯車が重くまた一つ動き出した。
【従兄のアンジェロ】
チョン伯爵家に遠方からの客人が訪れていた。それはジョングクの母方の伯父であるナポリのソレンティーノ伯爵だった。
今回は息子を伴っての来訪だった。
「早いお着きで有り難いことです義兄上。」
セオドラ卿は待ちかねていたというようにソレンティーノ伯爵と握手をした。
「動ける内に早目に来れてよかった。」
「アンジェロも久しぶりだな。成人になったばかりの頃以来か?見違えたぞ。すっかり伯爵の右腕だな。」
「ありがとうございます。叔父上もお元気そうでなによりです。」
このアンジェロという青年は、ジョングクの三つ上の従兄で、ソレンティーノ伯爵の次男にあたる。歳が近いためか小さい頃からジョングクとは一番仲が良かった従兄だ。
「おお!ジョン(ジョングク)久しぶりだな。もうすっかり英国紳士じゃないか。」
アンジェロはジョングクとしっかり握手をすると、久しぶりの再会を喜んだ。
「アンジェ(アンジェロ)兄さんも凄く逞しくなりましたね。」
「そうだろう!お互い軍務でだいぶ鍛えられたな。」
二人は互いの体格の良さを称え合った。
「そうだ、大公子のテヒョン様と婚約したのだったな。おめでとう。」
「ありがとうございます。・・このご時世ですから結婚は延期に致しましたが、、、」
「近いうちにこの国で、必ずや盛大な王室の結婚式が執り行えるように、忌々しい戦闘を終わらせるのだ。」
ソレンティーノ伯爵は深く重い声で言うと、ジョングクの肩を叩いた。
「伯父上、、、」
「テヒョン様はお元気でおられるか?」
「はい。お変わりなくお過ごしでいらっしゃいます。」
「ははは、、時間があればおそば近くにいて、慈しんでおるお前の姿が見て取れるわ。」
ソレンティーノ伯爵の言葉に、セオドラ卿やアンジェロもからかうように笑う。
しっかり見透かされてることにジョングクは照れ笑いで誤魔化した。
「結婚に関してはジョンに先を越されたな。」
「アンジェ兄さんは?心に決めた方はいるのですか?」
「俺か?うん、まぁ、、、おいおいにな。」
アンジェロは含みを持たせた言い方をして、視線をソレンティーノ伯爵に向けた。
何やら理由(ワケ)がありそうだと思ったが、ジョングクは敢えてそれ以上訊くのはやめた。
扉で待機していたハンスがセオドラ卿に合図を送る。
「馬車の準備が出来たようだな。
義兄上達には到着早々でお疲れの所申し訳ない。向こうの準備が出来たようなので参りましょう。」
セオドラ卿はジョングクとソレンティーノ伯爵親子を伴い、聖プレブロシャス教会へ出掛けて行った。
あの教会に向かうということは、内密に話し合いが行われるという事を意味している。今回は一体何が語られるのだろうか。
その日の夜、ジョングクは自身の部屋でアンジェロと二人、思い出話を肴に食後のワインを楽しんでいた。
「しかし、頑ななまでに他人に心を開こうとしなかったお前が、婚約したという一報を聞いた時は驚いたぞ。」
アンジェロは少年の頃によくしていたいたずらな視線を向けて言った。ジョングクも当時のように動じてない顔を決め込んで笑った。
「相手はニュウマリー族であり、王位継承権を持つ王族だろう!?事情を知るまでは理由が分からなかったからな。」
言いながらつまみのチーズを取って、ほらっというように差し出すと、ジョングクはその手から直接パクっと食べてワインを一口ふくんだ。
「内面は子どもの頃とあまり変わってはいないのだな。」
アンジェロはケラケラ笑った。
「だけど、、、」
ジョングクは言い掛けて胸元からチェーンを取り出すと指輪を触った。
アンジェロはその様子を見ながら、
「お前の心の真髄に一番に触れたのは、テヒョン様なんだな。」
と言って想いに浸っている頭をクシャクシャと撫でた。「もう、子どもではありませんよ。」
いたずらな手を笑いながら払って抵抗した。
「俺にはいつまでもちびっ子のジョンなんだがな。」
「あ〜その感じ、兄さんも変わってないみたいですね。」
「コイツ!」
アンジェロはジョングクに向かってワインのコルク栓を投げつけた。
「ほ〜ら、やっぱり!」
二人は可笑しくなって吹き出して笑い合った。
「・・・久しぶりに腹の底から笑ったな、、、」
アンジェロは急に真顔になって、ジョングクのグラスにワインを注ぐ。
「・・理由を訊いても?」
ワインボトルをばっと取ると、注ぎ返しながら訊いた。
二人は満たされたグラスを持つと、何度目かの乾杯を交わした。
アンジェロはじっとジョングクの目を見据えて、話の切り出しを考えていた。
そして柔らかい笑みを浮かべた。
「俺にも将来を共にしたいと思っている人がいる。」
ジョングクは頷きながら、既に空になっているアンジェロのグラスにワインを注いで次を促す。
「だがな、、、彼女はガヴェレナ系の血筋だ。」
「兄さん・・・」
「彼女の両親や親族が、今回の王位継承権略奪に加担したわけではない。」
「分かっております!」
「しかし、、同じガヴェレナの人達は、貴族も含め同族が侵した大事に責任を感じ、恥じている。」
「アイゼナ系のヴァンティーダに非が及ばないように、特に婚姻を結んでいる所は一時的に離縁の形を取っている・・・」
そこまで言うとそのまま黙り込んだ。
きっと、アンジェロの想い人も彼の元から自ら離れたであろうことが想像出来た。グッと感情を堪えて話してくれた姿に掛ける言葉が無かった。あるのは身勝手な思想から始まった理不尽な事態に対する憤りだけだ。
ジョングクの目が紅く揺らいでいた。
「お前の紅にうごめく眼光が、どれほどの怒りを現しているのかよく分かる。」
「私は、、憎しみが湧き上がっております。」
「コントロールは出来ないのか?」
「はい、うまく出来ません。」
アンジェロは仕方ないなと笑う。
「お前は心優しい。だからこそひと度怒りが込み上げると収拾がつかない。
叔父上がよくそれを心配していた。」
「理不尽な事には、、どうにも我慢がならないのです。」
「お前は決して自己防衛の為に怒りを出さない。そこが良い所だ。
しかし、、、大切にしている者に対して降り掛かることには、身を呈して攻撃に走る、、、。」
ジョングクは黙って聞いていたが、顔を上げてアンジェロを見つめた。
「兄さんは分かってくれますよね、、、」
紅い眼光は更に揺れていた。
「ああ分かるとも。分かり過ぎるほどにな。」
二人は互いにワインを注ぎ合い、グラスを鳴らした。勢いよく飲むと笑顔が漏れた。同じ状況下に置かれた者同士、お互いがそれぞれの味方だった。
「だがな、ジョングク、、お前の気持ちが分かり過ぎるからこそ、自滅してしまわないか心配でもある。昔、叔母上が亡くなった事でいじめにあった話を聞いたぞ。」
「もう子どもの頃の話ですよ、、、」
「いや、そうじゃない。普段温厚なお前がいじめた奴に怪我をさせた。それだけでも信じられない事だが、かなり酷い怪我だったそうじゃないか。」
「それに関しては言い訳のしようがありません・・・子どもとはいえ愚かな事をしました。」
ジョングクは首を振って下を向いた。
「責めているのではない。俺が気になったのは、言い訳せず理由も言わなかった事だ。叔父上も俺の父上も心配していたが、、、お前は優しすぎるのだ。あの時も叔母上の名誉を守ろうとしたのだろう?お前の献身的な態度は、、、その為に自己犠牲に走るのではないかと、心配しているのだ。」
「兄さん、、私はそこまで良い人間ではありませんよ。」
ジョングクは笑い飛ばした。だがしかし、アンジェロは知っていた。この《自覚》の無さが怖いのだと。自分の本性に気付いていればコントロールも出来るはずだが、ジョングクにはそれが無い。
「この先何かあれば、俺はお前と共に行動しよう。お互いに大切な者を守る為にな!」
「力強いです兄さん!」
ジョングクはアンジェロの存在が本当に心強かった。小さい時にはよく会っていて、留学という形でこの国の士官学校に先に入っていたので、ジョングクが在学中はずっと一緒だった。
大人になってからはなかなか会うことはなかったが、それでも本当の兄と弟のような絆は繋がったままだ。それにヴァンティーダ同士分かち合える部分は大きかった。
ジョングクとアンジェロは話題を変え、お互いの想い人の話で盛り上がった。そしてこの日二人は遅くまで飲み明かしたのだ。
朝日が昇ってしばらくして、チョン伯爵家の玄関前にキム公爵家の馬車が着いた。
ハンスが応対するとテヒョンが降り立った。
「おはようございます、キム公爵。」
「おはよう。ジョングクは起きているか?」
「まだお休みでございます。・・どうぞこのままお部屋へ行って頂いて、公爵自らジョングク様を起こして頂けますか?」
「?、、、うん、分かったそうしよう。」
もうかなり勝手知ったる伯爵家ではあったが、それでもいつもなら供をされて彼の部屋に行っていただけに、今日のハンスの申し出を不思議に思った。また、ハンスの含み笑いもなにか気になる。
とにかくテヒョンは一人でジョングクの部屋に向かった。部屋の前まで来て扉をノックする。しかしすぐには反応がなかった。もう一度ノックをしてみた。
するとガチャリと扉がゆっくり開いた。
「やっと起きたか、ジョング・・・!?」
テヒョンの言葉が止まる。扉を開けたのが見知らぬ男だったからだ。
目鼻立ちがくっきりとした、ギリシャの彫像のような顔立ちのその男は背が高く、屈強な体格の持ち主であったが寝起きの様相でテヒョンを見下ろすと、
「おお、、、ヴィーナスが目の前に・・・」
と言った。
「そなたは誰だ?なぜジョングクの部屋にいるのだ?」
我に返ったテヒョンが訝しげに言うと、男の脇をすり抜けて部屋の中に入った。
「うわっ・・・酒臭い、、、」
思わず鼻を塞ぐ。部屋のテーブルにはワインやブランデー等の空き瓶が転がっていた。
ジョングク本人はベッドの中でまだ眠っている。
テヒョンは急いで窓に行くと、カーテンを開いて窓を開けた。そしてベッドに向かい、
「おい、ジョングク起きろ!!」
と乱暴に叩き起こした。
扉の所で腕組みをして事の成り行きを見ていた男は、
「もしかして、、、大公子のテヒョン様で?」
と訊いた。テヒョンは振り向くと、
「いかにも、キム・テヒョンだが。そちらは?」
と訊き返した。
「私はアンジェロ・ディ・ソレンティーノと申します。」
「ソレンティーノ?」
「ジョングクの従兄でございます。・・・あ、それに貴方様の従兄でもあります。」
「従兄?」
ここでやっとジョングクが動き出して、起き上がるところだった。
「・・・テ、、テヒョン様?」
クシャクシャの頭で目が開ききらない顔をしてテヒョンを見た。
「しっかりしろっっ!!!」
テヒョンが思わず大声を上げた。
「・・・っつう、、、大声を、、、上げないで下さい、、、頭に響きます、、、」
「なっ・・・!!」
「おやおや、公爵のお声が廊下にまで響いて聞こえて来ましたよ。」
ハンスが水の入ったピッチャーとグラスを持ってジョングクの部屋にやって来た。
「お二人共夕べは随分お飲みになりましたねぇ。」
グラスに水を注ぎながら呑気にいう。
「支度が終わるまで私は下にいるぞ!」
「申し訳ございません、公爵。」
ハンスが応えた。テヒョンはさっさと部屋を出て行ってしまった。バタンと強く閉められた扉に怒りが感じられた。
「もしかしたら、ジョンが俺を連れ込んだと勘違いしたか・・・?俺が扉を開けた時の顔が目を見開いて驚いていたぞ。」
アンジェロは半笑いをしながら言った。
「予想はしておりましたが、、、お二人共早々にお支度をなさって下さいませ。これ以上キム公爵を怒らせてはなりませんよ。」
「おいおい、ハンスも何も言わずにわざと一人で来させたのであろう?」
「アンジェロ様、人聞きが悪うございますよ。」
アンジェロとハンスは笑った。ハンスから水をもらって飲み干したジョングクは、やっと覚醒して何が起きたのか把握した。
「・・・まさか、、、テヒョン様を怒らせてしまったのか!?」
テヒョンが下に降りてしまう事をハンスが想定して待機させていたのか、従僕がテヒョンを出迎えた。
「おはようございますキム公爵、セオドラ様が食堂におりますのでご案内致します。」
テヒョンは『うん』とだけ頷くと食堂に入る。そこにはセオドラ卿と共にソレンティーノ伯爵がいた。
「これは殿下、おはようございます。」
「おはようございます。朝早くからお邪魔しております。」
「お久しぶりですな、テヒョン様。」
「伯父上、、、。お久しぶりです。いらしていたのですね。」
「殿下、ジョングクは起きましたかな?」
テヒョンは真顔になって、
「さぁ、、、」
と答えた。
テヒョンのどことなく不機嫌そうな様子に、セオドラ卿とソレンティーノ伯爵は顔を見合わせた。
「では我々は先に朝食に致しましょう。殿下もご一緒に。」
セオドラ卿が声を掛けると、給仕係が食事の準備を始めた。
テヒョン達が朝食を食べていると、身なりを整えたジョングクとアンジェロがやっと食堂に現れた。
「おはようございますテヒョン様、父上、伯父上。」
ジョングクは挨拶をすると早々にテヒョンの隣に座った。
「テヒョン様、これは私の次男のアンジェロでございます。」
「先程は大変失礼を致しました。」
アンジェロは深々とお辞儀をした。
「いいえ、特に気にしてなどはおりませんので大丈夫ですよ。」
とは言うものの、なにか冷たい言い方だった。アンジェロはそのまま父親の隣に座った。
二日酔いの二人の前にはスープが置かれた。それを見てソレンティーノ伯爵が、
「夕べは二人共随分飲んだようだな。」
と言って笑った。
「ジョンと二人で昔話をしておりましたら、ついつい瓶を空けてしまいました。」
アンジェロの《ジョン》という呼び方にテヒョンが反応した。
「すみません、、テヒョン様。ちゃんとお出迎え出来ませんで、、」
「深酒をして寝ていたのなら仕方あるまい。」
テヒョンはナイフとフォークを動かしたまま応えた。やはりご機嫌斜めなのがよく分かる反応だった。
「アンジェ兄さんのペースに乗った自分が馬鹿でした、、、」
今度はジョングクの《アンジェ兄さん》の呼び方に反応する。
「アンジェロの酒の強さは有名じゃないか。」
セオドラ卿が笑いながら言った。
「テヒョン様、私はジョンと一緒には寝ておりませんのでご安心を」
セオドラ卿とソレンティーノ伯爵がギョッとしてアンジェロの方を見た。せっかく重苦しい空気を打開しようとしているのに水を差す形になった。
テヒョンは湧いてくる負の感情をグッと堪えて、
「ええ、分かっておりますよ。ソファにピローとブランケットがありましたから。」
と応えた。ジョングク以外の三人は『そこはちゃんとチェックをなさったのだな』と、一様に思った。そしてテヒョンが相当に嫉妬をしている事に気付き、可愛らしい一面に触れ笑いが込み上げてくるのを必死で抑えた。
テヒョンもなんとなく場の雰囲気を察した。
「まだ酒臭さが抜けていないようだな、ジョングク。パックスの所へ行く。酔いが覚めたら来るんだな。
ではお先に失礼します。ご馳走様でした。」
テヒョンはそう言うとナフキンで口を拭い、席を立って出て行ってしまった。
「テヒョン様!・・・っつう、、、」
ジョングクは追いかけようとしたが頭に響いて立ち上がれなかった。
他の三人は呆気にとられていた。
「いや、、、ジョン、お前相当テヒョン様に惚れられているな。」
「あれが大公子のテヒョン様か?なんとも可愛らしいではないか。」
「私もあのような殿下は初めて見ましたぞ。」
「「「ジョングク、あのお方は今以上に大事にせねばならぬぞ!」」」
三人にそれぞれ言われるジョングクだったが、二日酔いが邪魔をした。
「テヒョン様・・・」
ジョングクの悶絶する姿に三人は大笑いをした。
「一時はどうなる事かと思ったが、心配することではなかったな。」
「あのような可愛らしいお姿は、なかなか見られるものではないな。」
「あの威厳に満ちた美しさで嫉妬をするなんて、ジョンが夢中になるのも分かるわ。」
ハンスは食後の珈琲を淹れながら、三人の話を頷いて聞いていた。
『ジョンだって?アンジェ兄さんだって?』テヒョンはイライラしながらパックスがいる所まで歩いていた。
なにも本気でアンジェロとジョングクに嫉妬しているわけではない。ましてや何かを疑っているわけでもない。
ただ単にジョングクの部屋で二人が過ごしたという事実にやきもちを妬いたのだ。いつも、いつでも独り占めしたい。その思いが強いだけなのだ。感情とは厄介なものだとつくづく思う。
部屋に行くとパックスが飛びついて来た。思わず笑顔になる。
「パックス〜〜遊びに来たぞ〜。」
「おはようございますキム公爵。パックスと共にお越しをお待ちしておりました。」
養育係が中に入るよう促した。
「ジョングク様はご一緒ではないのですか?」
「うん、、、後から来るのではないか?今は客人がおるからそちらが忙しいだろう。」
「ああ、そうでございましたね。これからジョングク様のお部屋へ参りますか?」
「いや、ここでいい。」
テヒョンは暫くここで頭を冷やしたいと思った。
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