堀川(京都)下立売通り~上御霊通り  20230506

 

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堀川はおおよそ堀川通り沿いを流れている。

現在の堀川は、琵琶湖疏水分線の水を使用している。賀茂川を地下導水管でくぐり、紫明通・堀川通の中央分離帯の中に整備された水路を経て、今出川通で既存の開渠部につながっている。一条通の一条戻り橋を経て、御池通までが開渠部である[1]。そこから南は再び暗渠となり、西本願寺の東でわずかに地上に現れるほかは堀川通の地下を流れる。近鉄京都線上鳥羽口駅の西で開渠となり、すぐに鴨川と合流する。 

(ウィキペディア「堀川」より)

かつては、堀川の辺りに賀茂川の本流が流れていて、平安京の造営にあたり、賀茂川が今の鴨川あたりにつけ替えられたという説があった。しかし、地質学の調査で、つけ替えはなかったとされている。

京都堀川(散策道案内)

今の堀川は、琵琶湖疏水分流が、高野川・賀茂川の下をくぐり、紫明通りから堀川通りと流れてきている。

今の堀川の水は、琵琶湖疏水だ。

photo.talk-turkey.com

 

 

下立売橋(下立売通り)付近

堀川は、北は、一条戻り橋より少し北の堀川今出川あたりから、二条城前の御池通りあたりまで、開渠となっており、整備され、ベンチなどが整備され、市民が散策したり、くつろいだりできる場所となっている。

↓写真左の道路は堀川通堀川下立売通り付近

歩いていて、下立売通りと歩いていて、堀川通りの交差点に着いた。
橋の下に堀川が見えた。川は両側がコンクリートで固められて、道路面から数メートル下に川が流れている。流れはコンクリートで固められたルートを流れる小川の楊だった。しかし、小川沿いの小径には草木が植えられて、花をつけていた。
京都の中心を通る交通量の多い堀川通沿いを歩いていると思えない隔世感ががあった。

このようなところがある京都はうらやましい気がする。

↓下立売橋より南の方f:id:m3785com:20230508220957j:image


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出水橋(出水通り)付近

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下長者橋(下長者通り)付近

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橋付近から下流を、出水橋が見える。
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上長者橋(上長者通り)付近

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これは、高圧線。
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堀川第一橋(中立売通り)

堀川第一橋が見えてきた、かつてはこの橋の上を市電がとっていたようだ。

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市電堀川線の記憶
明治28年2月、我が国初の電気鉄道(京都電気鉄道)が京都に走りました。同年9月堀川線(通称:北野線)が東堀川通りに開通し、堀川中立売と、堀川下立売を結びました。その後は路線距離と乗降客数を順調に延ばし、市民に親しまれてきました。しかし、昭和36年7月末、自動車の普及などによる利用の減少によって、ついに廃線となってしまいした。

堀川第一橋の下流に今でも残るレンガ積みの橋台は幅の狭い方(コンクリートのアーチ橋が架かっている部分)が単線時のもので、幅の広い方(両岸が南北にずれている)部分)が複線化されてからのもので、日本で最初の電車が堀川に沿って走っていた記憶して、これからも次世代へ歴史を語り続けていくことでしょう。

 

下の写真の壁のレンガになっているところから橋が架かっていた。
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上のレンガのところから橋は、堀川第一橋のすぐ横にあるレンガの辺りに斜めに架けられていたようだ。
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こんな感じでかかっていたのだろう堀川第一橋


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一条戻り橋

この橋より先は、暗くなっていた。いかにも安倍晴明の式神がいそうな雰囲気があった。
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この辺りに式神がいた?
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一条戻り橋から今出川通り付近

一条戻り橋より先は、滝があったり、木が茂っていたり、なにか、鬱蒼(うっそう)としていた。
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階段を上がって先は、堀川通りと同じ高さになり、森の小径見たいに
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堀川にほたるが住める環境を造ろうという運動をしているようだ。

こんな都会の真ん中でほたるを見ることができれば、とてもいいことだ。
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遊歩道がおわり、堀川通りにでると、もう今出川通りが目の前。この辺りから堀川は暗渠になる。
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堀川せせらぎ公園

暗渠の堀川の上を通る堀川通りの中央分離帯には、「堀川せせらぎ公園」がある。

南から第三・第二・第一と箇所あった。公園とあるが、堀川通りの中央分離帯なので、広くもくなく、訪れる人はいなかった。f:id:m3785com:20230527131042j:image
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暗渠の堀川の上にあるかからか、水の流れががあった。

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上御霊通りと堀川通りの交差点。以前桜のこ上御霊神社へ歩いたときに通った。下の写真には、水火天満宮のある扇町公園。
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この先には、紫明通りとの合流点がある。紫明通りの下には、堀川に続く、疎水の流れが通っている。そして、紫明通りの中央分離帯には、「紫明せせらぎ公園」がある。「紫明せせらぎ公園」は賀茂川から第一・第二とそして、堀川通り近くでは第七と、七つ公園がある。

堀川開渠部整備概要

堀川は,昭和30年代に水源が断たれ,雨天時に下水が流れ込む以外は水の流れがほとんどなく,コンクリートで底張りされた河川となっていました。

本事業に関連して,堀川通の下に直径6mの巨大な下水管路の整備を行ったことにより,堀川に下水が流れ込まなくなりました。 堀川開渠部は,現在の川の中にせせらぎや遊歩道,ベンチなどを整備しました。 その他,戻橋上流では,河床を上げることにより公園とのアクセスが容易になるようにし,その下流では,ステージにもなる広いスペースや観客席にもなる階段を整備しました。  

http://chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.city.kyoto.lg.jp/kensetu/cmsfiles/contents/0000272/272247/horikawa.pdf

堀川

現在の堀川は、琵琶湖疏水分線の水を使用している。賀茂川を地下導水管でくぐり、紫明通・堀川通の中央分離帯の中に整備された水路を経て、今出川通で既存の開渠部につながっている。一条通の一条戻り橋を経て、御池通までが開渠部である[1]。そこから南は再び暗渠となり、西本願寺の東でわずかに地上に現れるほかは堀川通の地下を流れる。近鉄京都線上鳥羽口駅の西で開渠となり、すぐに鴨川と合流する。(ウィキペディア「堀川」より

堀川のわかる範囲の経路。