はい、どーも!井上です!

 

 

関西を中心に精神医かつ産業医しています!

 

 

ラフな人生をめざしていきましょう(^^)

 

 

 

 

今回はいつもと違って

 

すこし細かい表現の方法の話を

 

させてください。

 

 

 

 

突然ですが

 

人間はだれもが

 

最後は命を落としますね。

 

 

 

 

そうです。

 

 

死んでしまいます。

 

 

 

 

それは自然の摂理であり

 

あなただけではなく

 

あなたの大切な人にも

 

その時がやってきます。

 

 

 

 

先日、ある会社に

 

産業医として訪問したとき

 

いつも私の担当をしてくれる

 

人事総務部のAさんがお休みでした。

 

 

 

 

交代でBさんが

 

対応してくださったのですが

 

Aさんが休みの理由を聞くと

 

『身内に不幸があったので…』

 

というような話でした。

 

 

 

 

もちろん

 

特別に珍しい


シチュエーションでもなく

 

その事象に関しても


『あぁ、そうでしたか。』

 

と理解もできます。

 

 

 

 

しかし

 

個人的には少し前から

 

『身内に不幸があった』

 

という表現には

 

疑問を持っていました。

 

 

 

 

慣例みたいな

 

使われ方をしますし

 

誰かが使うことは


全く止めようとも思いませんが…

 


私、個人としては

 

出来る限り使わないように

 

気をつけています。

 

 

 

 

というのも

 

『身内に不幸があった』

 

という表現の背景には

 

『死ぬこと=不幸』

 

という方程式があります。

 

 

 

 

たしかに

 

死んでしまうことは

 

残念なことでしょうが

 

不幸なことなのでしょうか。

 

 

 

 

もちろん

 

不幸な死に方というのは

 

存在すると思いますが…

 

どんな場合でも

 

不幸確定と決めつけられるのは

 

モヤモヤしてしまいます。

 

 

 

 

そもそも

 

人生の最後が『不幸』だと

 

確定しているなんて

 

かなり虚しくないですか。

 

 

 

 

生まれてから

 

どれだけ幸せを感じて過ごしても

 

実は最後の不幸に向けて

 

走り続けてるだけなんて

 

やはり受け入れたくありません。

 

 

 

 

100歩譲って

 

遺族となってしまった

 

『私にとって不幸(なこと)があった』

 

という表現なら

 

まだ分からなくもないです。




 

わたしは幸福の延長

 

最後を迎えたいと思いますので

 

毎日の中でささいなことでも

 

幸福を見つけていきたいです。

 

 

 

 

では、今日はこのへんで!

 

See You Next Time Bye-Bye!!

 

 

=(大切なお知らせ )=

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