2022年4月17日日曜日

ロシア侵攻についての廣瀬陽子氏の慨嘆と反省

  廣瀬陽子氏は、現在、メディアに引っ張りだこで、ロシアの侵攻の背景と現状等についての分析はさすがだなと思っていたら、旧ソビエト連邦地域の、政治や紛争についての研究の第一人者であるようだ。ところが、ウクライナ侵攻以来、廣瀬氏が、専門家としてロシアの侵攻を予測できなかったと、今までの自分の研究は何だったのかと嘆いているというハフポストの記事がネット上にあった。

 メディアには、専門家と称しながら、研究者としては首をかしげざるを得ない人たちがかなりの割合で登場する。イデオロギーファーストの経済学者や、国際誌に論文を発表したことがない国際政治学者など、数え上げたらきりがない。それでも、研究の第一人者ではなくても、彼らがサイエンスコミュニケーターとして、国際誌等で発表された最新の文献等に目を通し、確認された事実と見解について熟知していて、ジャーナリスティックにそれをまとめてくれれば、そういう役割はアリだと思う。しかし、現実はそれに程遠い人たちが一定の割合で専門家と称している。そういう中で、廣瀬氏は、信頼できる研究者という印象が強い。

 ポパーに従えば、科学的理論は、そこから何らかの仮説または予測を導き、結果あるいは事実がその通りにならなければその理論は棄却される。その意味で、廣瀬氏のこの慨嘆・反省は、科学に対する真摯なポパー的態度だなと思う。しかし、だからといってこれまでの理論が無力だということにはならない。その意味で、この記事のタイトルにもある「それでも研究を続ける理由」という表現は扇情的だと思う。現実には、理論から予測通りにはならないことが多くあっても、その理論が無力ということにはならない。地震の予測ができなくても、地震学の理論は無力というわけではない。また、社会科学の場合は、予測できないことが多々ある。たとえば、ある居酒屋に反グレが何人か集まった状態で、仮に心理学者がすべての個人の精神状態を把握できたとしよう。それでも、そこで喧嘩が起きるかどうかについて100パーセント確実な予測をできるわけではない。予測できないとしても、人間の攻撃性についての理論がすべて無力というわけではない。喧嘩が起きたか起きないかというデータを蓄積して、攻撃性から攻撃行動が現れる理論を洗練していけばよいことだ。

 その意味で、廣瀬氏には、今回の侵攻から、旧ソビエト連邦という特殊性と人間の支配欲求、独裁者の気まぐれなど、さまざまな状況要因と人間の普遍性を取り入れた理論を発展させていってほしいものだと思う。研究時間を確保するためには、良質な報道番組出演だけに留めておいて、視聴者に的確な情報を提供してくれることを願っている。

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