比叡山延暦寺と日蓮聖人、といいますと特に関係ないのでは、と思われるかもしれないのですが、上記のサイトの記事を読んでみますと、
大講堂には比叡山で修行した各宗派の祖師像が厳かに鎮座する。
右から、釈迦が説いた法華経を根本経典とした日蓮聖人(日蓮宗の開祖)、禅宗に帰した道元禅師(日本曹洞宗の開祖)と栄西禅師(日本臨済宗の開祖)、後に大津市の園城寺(三井寺)を総本山とした天台寺門宗の智證大師 (天台寺門宗の開祖)。
とあって、日蓮聖人などの他宗の祖師たちが比叡山に学んだ天台学僧であったことを忘れずに、比叡山の東塔にある大講堂内に木像を祀って記念し続けていることがわかります。
また、次のサイトによれば、
比叡山の横川にある定光院という寺院は、天台宗の寺院でありながら、日蓮聖人が天台教学を学んだ地であることから、その管理を日蓮宗徒が行っている、ということを知ることができます。
仏教は、宗派の別にそれぞれであろうとも、目的は同じ一つであって、方法が違うだけである、と理解するわけです。たとえ自派から分離した宗派であっても、それが悪いことであるとは考えません。
奈良仏教と真言宗以外の、ほとんどの宗派は、天台宗から派生したものであると言えるでしょう。
では、キリスト教の場合はどうでしょうか。バチカンのサン・ピエトロには、ツヴィングリやルター、カルバンなどを記念する像があるでしょうか。
いまさら言うまでもなく、むしろ逆であることはご存知の通りでしょう。実際には反目し合ったり、争いの元になったりしているというところが現実です。
あまり正しい比較とは言えないであろうことはよくわかっているのですが、もしも、この仏教的な考え方がキリスト教にあったらどうであっただろうか、と思うこともあります。