まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

話はまず正しく伝わらないもの

2022-01-28 23:00:11 | 日本語に関係する教育

NHK Eテレの番組は良くできていると感じる。

特に子ども向けのものは素晴らしいとさえ感じる。

ただ、放送スケジュールの変更や夏休みや冬休みの特別番組への差し替えの通知を徹底していただきたいというのが私の願いである。

 

「あのね、放送の最後のほうにでも、テロップを出したり、アナウンスするぐらいできんのか!?」と言いたくなってしまう。

 

再放送の時間と合わなければ、わざわざWEB上で見る時間を作ることは難しい。

 

そのNHKだが、Eテレに限らず、ラジオR2も昔からお世話になっている。

だが、そのR2が消えてなくなるのかと思うと、心が痛い。

名古屋地区の好きだったFM局が2つも無くなっているし(それも同じ周波数で・・・)、青春の思い出である香港ATVも無くなっているというあの経験をまたするのかと思うと・・・。

 

ただ、「永遠に続くものは数少ない」(「永遠に続くものはない」とは記したくない)わけであり、仕方がない。

(R1やNHK FMもけっこう好きなのだが、やはり地元や生まれた県のFM局を聴くことのほうが多い。)

 

さて、EテレやR2が登場したのだが、私が一番活用しているのは語学番組である。

 

日本語教師時代にはよくそこで学んだ手法を使わせていただいたものである。

もちろん、中国での日本語教育に合うようにアレンジしていた。

 

いくら良い手法であっても、たいていはそのまま使っていては通用しない。

まずは疑ってみて欲しい。

自分が関わっている現場に合っている、合っていないという観点だけで言っているわけではない。

疑ってみることで、己の間違った解釈にも気づく。

 

中国でも「○○先生が言っているのだから間違いない」という方に何人か出会ったことがあるのだが、そういう方に限って間違った解釈をしていたりすることが多かった。

私などかなりのへそ曲がりであるので、「まず疑う」という習慣がある。

ただ、そこで間違った解釈を声高に叫んでいる方に「アホか」などという態度を取ってはいけない。

たいていは順を追って説明しても通じなかったりするのであるから、そんなことをすれば、火に油を注ぐようなもの。

 

決して自分がまともな教師だとは思っていない。

ただ、「教師たるものはいつも様々な方面を見渡せなければいけない」はずなのに、そうではない方もけっこういらっしゃる。

 

別に語学だけとは言わないが、日本語教師を続けるのであれば、自分も常に何かを学び続けるほうが良いと自分勝手に思っている。

 

話題変換

先週、転職のことに触れた。

なんだかわからないうちに、けっこう話が進んでいるような気がしている。

 

そこには私の経歴もあるかとは思う。

ただ、いくら経歴が素晴らしくても、今が使い物にならなければ、そんな奴は要らないであろう。

自分はけっして物覚えの良いほうではないし、最近は何回頭に叩き込んでも翌日には忘れていることさえある。

しかし、常に勉強している

それは語学だけの話ではない。

何をやるにしても、自己研修は大切だと自分勝手に思っている。

 

ところが以前と少々違う部分もある。

昔は人に訊く前に自分で考え、自分で調べ、それでもわからなかった場合だけ訊くようにしていた。

今は敢えてストレートに訊くことも増えている。

それは若い方に学んだのである。

 

若い方々が、何でもすぐに訊くのは考える力がなかったり、調べる能力がないというわけでもないと思うようになった。

今の時代、スピードが大切だということを肌で感じているのだとしたら?

また、知っていても訊くことで、自分の考え違いに気づくこともある。

 

そして、敢えて訊くという行為はコミュニケーションを生む。

 

(ちなみにどうでも良い話だが・・・。私はよく「訊く」と常用外の使い方をするが、これは主に文章だけで勝負をするうえで意味をわかりやすくするためである。)

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