まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

「あのー」や「そのー」を連発

2022-01-21 22:41:53 | 行動計画 & 積極的思考

2日前の水曜日に「朝、トイレのドアのラッチが壊れた」と記した。

その晩にメーカーとサイズを調べ、ネットで購入。

翌日(昨日木曜日)の夕方、自宅近くのアマゾンロッカーに届いたので、仕事帰りに回収し、取り替えた。

ところが、レバーのノブも換えたほうが良いことに気がつき、またまたアマゾンで購入。

本日(2022年1月21日)金曜日の昼にロッカーに届いた。

食事後に取り替えてめでたく完了。

 

私が住んでいるのは賃貸マンションであり、本来ならば大家さんを通さなければならない。

だが、父親の三回忌も近く、(今回も自分たちとわずかな親族だけで行うことになると思うのだが)それまでには何とか直したい。

同じものを購入できたので知らん顔をしておきたい。

 

ちなみに私は技術者出身であるが、手先は不器用な部類に属している。

まあ、その不器用さを理論と行動力でカヴァーしているつもりである。

 

ここで「行動力」と記した。

昔の私は知らないことでも突き進み、調べたり、訊いたり、実践で覚えたりして今に至る。

 

ところが、何事にもすぐに突き進むかといえば、そうでもない。

例えば、中国に赴任した頃は知らない店に食事に入るのが怖かった。

赴任した当時はHSK旧3級程度の語学力でしかなかったことも大きいとは思う。

だが、「石橋を叩いて、叩いて、叩いて、渡らない」という性格も関係しているに違いない。

大切なことは「安全」なのである。

しっかりと観察して、傾向を掴んでからでないと入店できなかった。

手っ取り早いのが、日本語がわかる中国人同僚や中国を良く知っている日本人同僚と一緒に行くことだと思う。

しかし、それも味気ない・・・。

 

こんな「チョー面倒な人」である私はそうとうプライドが高いことを認めざるをえない。

 

実際それほどペラペラに話せるようになったわけではないのだが、そのうちにどこでも飛び込めるようになった。

ただし、「観察する癖」は無くなったわけではなく、今でも顕在している。

 

たまに言われる。

「中国語がわかるんですね」だとか、「中国語が話せるんだね」とか。

 

まあ、認めてはおくが、元々それほど流暢であったわけではなく、最近はYouTubeなどで見聞きする程度であり、独り言でさえ時々詰まることがある・・・。

 

急に「ちょっと、ちょっと」と連れていかれて、「通訳して」などと言われたら、フィラーとしての“这个” “那个”の連発になるに違いない。

 

今年は中国語をブラッシュアップしておくべきであろうか。

夜ベッドに上がって布団に潜り込むと同時に、一日の反省を中国語や英語で考えるのだが、英語(超級シンプルイングリッシュ)の頻度が増えつつある。

(疲れているときや真剣に何かを祈りたいときは日本語だけれども。)

 

では、もっと真剣に英語と対峙すれば良いのかもしれないし、自分でも(この数年は)残りの人生を効率よく生きていくためにはそのほうが良いと考えていた。

 

「でもね・・・」

と終わらせておくのは、いつかこの続きを記すつもりでいるので。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今週はかなり忙しい | トップ | 泣いていても、先には進まない »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。