書の上達に、筆が大きな役割を果たしている事は、周知のとおりである。しかしながら、この正しい扱いについて知る人は意外に少ない。筆は、狸やテン、イタチ、山馬、山羊など動物の毛を使い、伝統工芸士という熟練した職人の手により、丁寧に作りあげられる美術品であり、どんなに器用であろうと、決して素人に出来る技ではない。そんな筆の性能をいかに長く保持、役立たせていけるかは、普段の正しい手入れ方法にかかっている。箱にも入れず置きっぱなしにして置くと、たちまち虫の被害に会い、使えなくなってしまう。なるべく早く、防虫効果のある墨につけて使い始める事であるが、そのあと、墨をつけたまま保管して置くと、そのうちカチカチに固まってどうにも手につけられない状態になってしまう。その筆で、字を書こうとすると、思うように墨を吸ってくれないから、この筆は、書きずらい、穂先が割れる、ダメだと一年もしないうちに、又新しい筆を求める。なんとももったいない事のように思われる。ある日、書家の教場を訪れた時、数本の筆が、硯の脇に置かれていて、先生のお手本書きが始まろうという時であつた。何度も使い朱が染み込んだ筆が、乾いた状態で並んでいたが、剛毛の筆先は、根元まで、ホワホワと、うさぎの尾のように柔らかく、鳥の羽のような輝きをたたえていた。先生は、それを労るように、手のひらに、押してみたり、ほぐしたり、形を整えてみたりしながら、朱の硯の海に沈めた。
いつもは、紙の上にある筆しか見た事のない私は、この時初めて、先生の素晴らしい字がどこから生まれ来るのかをかを悟った。私は、深く反省し、筆筒にある大、小60本ぼとの筆を、外の水道の所へ持って行き、竹軸のところまできれいにあらい、書作にむかった。たっぷり墨を含んだ筆は、命を吹き込まれたごとく紙の上を踊った。何とも嬉しく、愛おしく
捨てる筆は、ひとつもなかった。

OWHH5514 去年は、コロナの影響で、銀座展は、開催真近で中止になってしまいました。前回は、滝廉太郎の歌 花 を書きました。
38人それぞれが、皆それぞれの個性を活かして38色のカラーで書き上げていることと、兎に角、賞がないのがいいと思います。
106歳で亡くなった篠田桃紅という書家は、「アートなんてものは、賞の対象にならない。セザンヌは、何の賞も受けていません。モナリザを書いた人にどういう賞をあげるの?賞は作りようがないんですよ。賞は、毒にも薬にもならない。」と言っています。
また彼女が、岡田謙三さんという画家から「あなたの作る作品は、いいものですか?」と尋ねられた時、「自分では、いいと思っています。」と答えたら、岡田さんは、「それならいい。自分の作るものは、ダメです。というような人と私は、付きあいたくありません。」と言ったそうです。以来、私もそう即答できるような心構えで、作品を作りたいと思いました。たとえ、それが他の人から見て、上手くないとしても、「こんなもの、全くだめです。」なんて言っている人より人間的には、素敵で、私は好きです。
それで、今年2022年5月17日から22日まで。銀座 鳩居堂 で翠心38人展開催されます。
お時間ありましたら、体一つで、お気遣いなさらずお出かけご高覧ください。
今回も、竹島羽衣の詩(花も同じ作家の詩)書きました。私としては、上手くいった作品と思っております。










 

IMG_E2785二階の障子を開けると、初冬の日差しが、ひっそりと畳を染める午後2時。
筆を置いて、遠く西の山々を眺める。部屋に掛かっている良寛の「天上台風」。これが、禅語である事を知ったのは、つい最近の事である。
残念ながら、私には、その墨蹟の良さを理解することができないでいる
中野氏の「良寛に会う」という本に出会い、良寛の生い立ち、その人となり、生き方を知ると、無性に、冬近き越後、良寛の足跡を訪ねる旅に出たいと思い立った。今年は、冬の来るのが遅いとは言いながら、11月も半ば、北軽井沢を抜けて、峠を越えていくには、冬将軍が、いつお出ましになるか分かったものではない。私と、書の友人が、そんな話をしていたら、「私が運転しますから行きましょう。」といってくれる強い味方が現れた。
「真に思うことは、必ず遂ぐるなり。」昔、どこかで覚えた言葉が、ふと頭をよぎる。「いつにしますか?」「12月1日か5日なら行けますが。」と運転手。もう2人の友人も、「一日ならいいのですが。」で私は、「では、一日。コースは、運転手さんにお任せしますからお願いします。」計画が、上手く行く時は、こんなものである。
私は、ぐずぐずが嫌いである。「うーん。私も行きたいけど、何時頃ならいいか?」そういう人を巻き込むと、必ず計画は、おじゃんになる。二つ返事で、嬉しさのあまり、小躍りしながら家に帰ってきたら、さっそく娘から電話「お母さん、三日金曜日夕方から、五日の日曜日、家族で行きますけど。」「勿論OKです。」ほらね。必ず、行けるようになっている。
友人から、家の、襖に貼ってある古い書を見てくれと、言われている。去年も、そのうち、いつか会いたいと言われていて、まだ約束を果たしていない。【いつか】という日は、決して来ない事を私は、知っている。だから、私からは、本当に望む事に【いつか】の約束はしない。
ああ。12月1日が待ちどうしい。晴れ女の私を、200年以上の年月を超えて待っていてる良寛がいると思うと、何だか、ドキドキしてしまう。願わくば、この功徳を持って、良寛様の書の良さが分かりますように。と、偏に願っている私である。

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