あんなに嫌いだったのに

平成29年10月に夫がすい臓がんで先に逝ってしまいました。
定年したら離婚しようと準備していたのに・・・

癌との毎日 その54(最後の一日その3)

2018-05-10 19:57:33 | 主人のこと
息子二人に電話をしてすぐ来るように言った。
長男は「もう意識はないの?」と聞いてきたが意識は全然ある。
「意識はあるよ、でももうせん妄も出てきているし、血圧も上がらない。呼吸もままならないから苦しいはず。『呼吸が楽になる薬』を入れてもらうから、入れたらもう自発呼吸はできなくなるからその前に来て」と。
「わかった、すぐ行く。」と長男の返事を聞いて病棟に戻った。
病室に入る前に夜勤の看護師さんに「これ以上辛い苦しい思いはさせたくありません。今息子に連絡したので家族が揃ったら(薬を)入れてください」とお願いした。

「わかりました。夜勤の医師に連絡しますね。」と言われ「お願いします」と頭を下げると「大丈夫ですか?」と看護師に背中をさすられた。
こらえていた涙が溢れた。
顔が上げられなくなり頭を下げたまましばらく(と言ってもきっと1分ほど)必死に涙を拭き顔を上げるとその看護師も涙を流していた。
こんな仕事をしているのだからいろんな方の死に際もみているだろうにそれでも涙を流してくれる看護師にちょっと驚き、そしてありがたいと思ったら“最後はちゃんと看取ってあげよう”と覚悟が決まった。

大きく息を吸い込み「はい、大丈夫です。2、30分ほどで息子達が来るのでよろしくお願いします。」と気丈に答えたつもりだ。

病室に戻ると娘が主人に再度酸素マスクを促していた。
やはり話をするのに邪魔なようですぐにマスクを手でずらしてしまう。ずらせば酸素濃度は落ちる。それを娘が「お父さんちゃんとつけて、鼻から大きく息を吸って」を繰り返していたようだ。

娘の隣に座り小さく「二人(息子たち)が来たら(薬を)入れてもらうから」と主人には聞こえないように伝えた。
娘が「トイレに行ってくるね」とすぐに離れた。見たわけでもないし聞いたわけでもないが多分泣きに行ったのだろうと思っている。

主人の手を握り「大丈夫?痛くない?」と声をかける。
せん妄と正気を行ったり来たりしている主人が「痛いよ、ナースコール押して、レスキュー入れてもらって」と言った。
体についている血圧計の数値はやはり100はない。
その数字を主人に見せて「まだ血圧が100まで行かないよ、レスキューは入れられないから頑張って(どうやって?って話だが)血圧をあげようよ」と言うと「そうか・・・」と目を閉じた。

もう何日も食べていないし水分さえもろくに摂っていない、せめてすこしでも眠れたならと思っていたがどうやらとても敏感になっているようで娘が病室に戻る音を聞き目を開けた。
が、一瞬目を閉じた間にせん妄が始まった。
主人のなかでは自宅でウトウトしていたようで、娘の顔をみると「おかえり、お疲れ」と声をかけた。
「さて〇〇(娘)も帰ってきたし俺はちょっと出かけさせてもらおうかな」とパジャマのボタンに手をかけ脱ごうとしはじめた。
娘と二人「え?どこ行くの?」と聞くと「こんなにいい天気だし家でゴロゴロしてるのは勿体ないからちょっと(自転車)行ってくるよ」と言い「俺のジーパンどこだっけ?」と顔を左右に振ってなにか探していた。

一瞬娘と顔を見合わせた。
すぐに娘が機転を利かせて「お父さん、今私が帰ってきたのに出かけるの?なら私が帰ってくるのを待ってなくたってよかったじゃん」とかつて自宅であったやりとりを再現した。

その背景には娘が就職して少し経った頃に車通勤の娘が信号待ちをしているところに車が追突してきた事故があった。
完全な相手有責の追突事故だった。
幸い娘にも相手にも怪我ひとつない事故だったが、その事故の後主人が明けや休みで家にいる時に娘の顔を見てから自転車で出かけるというやり取りが何度かあったためだ。
主人なりに心配もしていたのだろう。
娘としては自分は悪くない事故だから家にお父さんがいようがいまいが関係ないのだから「いちいち恩着せがましい」と悪態をつき主人は「ハイハイウザイお父さんは消えますよ」のようなやり取りがあった。



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