ひろしまでライオンズゲート | 風のたまごを見つけた   

風のたまごを見つけた   

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この惑星はなんて不思議!



 


8月新月を

故郷で

パソコンもなく

過ごしています。



なので

今日はシンプルな投稿に♪



暑いですが

広島は川の多い街。



水辺を吹き抜ける風に

こころ洗われます。









もうずっと、8月6日は

東京のヒトでした。



慌ただしい朝、

ひととき黙祷して

あたりまえの平和がそこにある

日常を過ごします。

 

 

 

広島に暮らしていた頃は、

やはり、この日の空気は違っていて

毎年ここに来て、

灯籠を流していました。



今年、本当に久しぶりの

この場所。



コロナ禍で、まだ明るい時間に

一般参加なしで、灯籠流しのセレモニー。









慰霊碑の前は

長蛇の列。みんな

本気で平和を祈っています。


時代ですね。



誰かがつく

平和の鐘の音。


川風にのって

水と緑の香り。。


樹が優しく風になびきます。



私は、

木にふれると、

平和な気持ちになります。

人の肌に触れているような

気持ちになることもあります。



自分よりもずっと賢く

生命を重ねた包容力。


樹由来の名前だからでしょうか。



名前というのは

その人の人生のテーマを表すのだと

聞いたことがあります。


そして、名前を決めるのは

生まれる本人なのだとも。

 

 

ライオンズゲートと呼ばれる

宇宙の光に満たされる今日。

あらためて、己れの名前を思い

そして、獅子なる強さで



過去の意味を卒業しようとしている

その実感の中にいる不思議。



幾度も書いた

個人的な話ですが

今のこの

次に向かう感覚は


確かだと思うのです。








ねぇ、

お父さん





そうでしょう?





 

 

 


 

ブーケ2「ちょっとマジメな名前の話」(2015年3月20日投稿)よりブーケ2

 

 

ユーカリの樹

 

 

父がつけてくれた「ゆかり」の名は

ユーカリの樹に由来する。


広島の中心部で生まれ育った父は

原爆投下時、旧制広島一中に通っていた。

たまたま学徒動員で母校を離れていた父は

廃墟と化した校庭に立って、絶望的な気持ちになったという。


父の心の支えとなったのは

爆心地であるにも関わらず

倒れることなく生き残った

一本のユーカリの樹だった。


その樹を見た父に、一筋の光が射した。



そしてそのユーカリの樹のように

世界がどうあっても強くあり

人に希望を与えることができるように

と授かったのが私の名前だ。


私が生まれてからずっと

この由来を語り続けた父の胸には

深い平和への願いがあったのだと思う。

そのことは幼い私にもよくわかった。

でも

父の体験は子どもが受けとめるには大きすぎたし

話にも慣れっこになってしまい

私は、ふうん、と聞いてはいたが

もっとお姫様っぽい名前だったらかわいいのに、、とか

戦争と関係のない名前ならいいな、、、とか

とても自分勝手なことを、密かに思っていた。


友だちに名前の由来を聞かれた時に

本当のことを話すのも重いし、面倒で

ユーカリの樹からつけたんだって、とだけ答えて

それ以上聞かれないよう

話題を変えたりしていた。

多分、父もその気持ちを察していたように思う。


名前のことを改めて意識したのは

父には申し訳ないが

父が亡くなった後だった。


父を頼っていた母も気力をなくし

初めて、よりどころない気持ちになって

自分の名前の由来のことを思い出した。


法事で帰省した際

急にその旧制中学に行ってみたくなり

ひとり市内電車に乗った。


今は広島県立国泰寺高校になっていて

校舎も近代的だ。

私が帰省したのは8月で

ちょうど校内に原爆死没者の慰霊の祭壇が設けられていたので

おそるおそる門をくぐってみた。

きっともう樹はないだろうと思っていたし

混乱の中にあった父の記憶が確かなのかも

不安だった。

しかし

確かにユーカリの樹はあったのだ。

父が見た樹ではないかもしれない。

しかし確かに校門のすぐ側にユーカリはあった。

調べてみると

ユーカリは旧制一中のシンボル的な樹であったそうだ。

広島城跡など、広島市内の他の地域にも

被爆樹木として

いくつかユーカリが残っていた。


復興した平和な広島で育った私は

それまで一度も自分の名前の樹のことを

真剣に考えたことがなかった。


思えば、歴史的に

戦争や原爆を考えても

自分の命として

生のつながりとして

感じることがなかったのだ。



もっと早く気持ちが向いていたら

父は喜んだろう、と思いながら

国泰寺高校のユーカリの樹を見上げ


惨禍を生き残った父が

どれほど切実に生きる希望を求め

どんな気持ちで名前を娘にたくしたのか

そのとき初めて理解した。


父は戦争の傷から

名前をつけたわけではなかった。

誰にも傷つけられない命の本質を

見つけたのだ。


私は初めて

自分の名前をしっかりと

受け入れた。


ずいぶん遅くなってしまって

ごめんなさい。


そちらは平和でしょうか。お父さん。


地球は激しく揺れているし

心を荒らす情報だらけで

私も日々、揺れてしまいそう。


それでも、平和を生きる選択を

信じることが出来るのは

あなたのくれた名前のおかげかもしれません。


感謝します。

ありがとう。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Hiroshima Love♡

 

 

 

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